2010年8月25日水曜日

: 「食」とは健康のためではない

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● 2008/04



 アメリカに在住する日本人の食行動について研究している。
 日本で進行しつつある食文化のアメリカ化が、アメリカに在住している人たちでは、より顕著に示されているのではないかと考えられるからだ。
 その結果、分かったことに一つは、日本人でもアメリカに長く生活すればするほど、
 「ご飯を主食とする考え方
が薄れていくことだ。
 コマが回るためには炭水化物をしっかり摂ることが重要なのだが、穀物摂取を支えている「主食」という考え方が薄れているのだ。
 実は、、食事バランスガイド(「食事バランスガイド」はアメリカの食事ガイドピラミッドを参考にして作られたものだ。
 日本版の「コマの形」よりも、アメリカの「ピラミッドの形」のほうが、土台が炭水化物であることを示して分かりやすく、全体を支える土台をしっかりさせる食事が必要であることは共通している。
 だが、その土台となる「主食」という枠組みが崩れているのだ。

 アメリカではもともと、主食という概念が薄い。
 アメリカに長い間住んでいる日本人の方々の食事を見ると、私の感覚では、おかずだけ食べているように見える。
 「穀物はなくても、サラダがあるからそれでよい」
という人もいる。
 「ポテトも少しは入っているし」というわけである。
 アメリカで長く暮らしている人ほど、食べ物を「健康」のために重要なものと考えるようになっている。
 これは非常に不思議な感じがする。
 つまり、「食べものを健康という観点から考えている」こと自体が、アメリカ文化の影響なのだということである。

 こうした現象は日本では、若い世代で起こりつつある。
 日本人の主食である米の消費量が減少しつつあるのだ。
 人間の行動は考え方に影響される。
 日本人が「長寿を維持」していくということを目指すなら、主食という考え方を維持することは、食育の大きな目標になる。
 日本に住む日本人は、アメリカ人ほど食を健康のためだとは思っていない。
 フランス人は、日本人よりもさらに「食べものを健康のため」とは考えていない。
 アメリカではありふれている脱脂食品がフランスには少ない。
 フランス人はアメリカ人のように、健康のために脂肪分の少ない、低エネルギーの食品を食べたいとは思わないのだ。
 フランス人のとって食べものとはなんのためのものか。
 当然、「人生の楽しみ」のためのものなのである。
 アメリカで長く暮らす日本人は、「おいしいもの」とは「健康によくない」と答える傾向にある。
 これは、食べものが人生の楽しみと考えることと、ちょうど逆の考え方だ。

 食べることから「楽しみ」が消えれば、それは自動車にガソリンを入れる作業とかわらなくなる。
 実際、現在では食べものとカラダの関係は、ガソリンと自動車の関係とぴったりおなじだと考えている若者が少なくない。
 そのため、空腹でもないのにたくさん食べる、ということになる。
 これはアメリカ人の食行動である。
 食べものは健康のためと考えるアメリカ人が陥っている落とし穴である。
 食を通じて健康になりたいなら、選択すべきは「健康のためではなく、楽しみのために」食を大切にする、という考えをもつことである。
 「食」とは健康のための道具ではないのである。







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★ 「やめられない」心理学:島井哲志

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● 2008/04



 誤解を恐れずに言えば、心理学の立場からは、食べるという行動にはそれほど興味深いところはない。
 人は目の前においしそうな食べものがあれば食行動を開始させ、行動の結果として満腹になれば、その行動を終える。
 動機づけもハッキリしている。
 人間は、おなかが空けば空くほど努力する。
 また同じ労力をかけるものであれば、食べものとしてはよりエネルギーになるものを選ぶ。
 これは予想通りであり、わかりやすい結果である。
 つ7まり、食行動は、錯覚、感情、人間関係や性格ほどには、心理学者の注目を浴びるテーマではない。
 しかし、それほど予想どうりのわかりやすい行動システムなら、現代社会で肥満が増えているのは不思議な現象だ。

 一人ひとりが空腹の状態に応じて、そのときに必要なエネルギーを摂取する食行動を行い、必要なエネルギーを摂取したとき満腹になり、そこで食べるのをやめるのなら、誰も太る人はいないと考えられる。
 そもそも肥満の人の食行動は、ふつうの人とどこがちがうなだろう。
 自分が消費している以上のエネルギーを摂取している、つまり食べ過ぎているということは、肥満という結果をみれば一目瞭然にわかる。
 では、食べ過ぎる行動は、どんな仕組みで起きているのだろう。

 先進諸国で肥満の割合が増えているのはなぜだろう。
 実は理由は簡単なのである。
 すぐ手の届く目の前に、食べるによさそうな美味しいものがある、からだ。
 食べものは刺激として非常に強い支配力をもって、食行動をコントロールしている。
 食べものが目の前に¥あるとき、わたしたちは基本的に食べる行動へと強く促されてしまう性質を持っているのだ。
 
 食物刺激には支配力があるが、条件によってその力の大きさが違う。
 その条件とは、
①.空白状態
②.食べるにすさわしい色や形、および味や香り
③.経験
である。
 経験の差は文化の影響を受けやすい。
 もともと高エネルギーのものは食物としての支配力が強いと考えられるが、もしも小さいときから、見た目もきれいでエネルギーの高い食物に慣れ親しめれば、その食物を目の前にすれば食行動は起こりやすくなる。
 そうした状態がいま、先進国で起きているのだと考えられる。
 食物がいつでも簡単に手にはいrと、目に触れる機会が増す。
 そして、支配力の強い食物が身近にあれば、結果として肥満の人の割合が増えるわけである。

 食は、文化の中心に位置づけることのできるものの一つだ。
 世界の国々には、どこの国にも独自の食文化があり、どこの国でも食べることは、人生の楽しみのかなり上位に位置する。
 ところが、先進国においては、食の豊かさを実現したがゆえに、食べることを人生の楽しみにすることができない、という皮肉な自体が生じている。
 楽しみのままに食べると肥満などの健康の問題につながってしまうという矛盾に直面してしまうのだ。

 「フレンチ・パラドックス」という言葉がある。
 フランス人は、バター、生クリーム、チーズやフォアグラなどの動物性脂肪がたっぷりの食生活をしている。
 しかしそれにもかかわらず、同じように動物性脂肪を食文化に取り入れている他の欧米諸国と比較すると、心筋梗塞による死亡率が低い。
 それをパラドックアスと呼ぶものだ。

 そして、心筋梗塞が少ないのはフランス人が赤ワインをよく飲むからではないかという説が登場した。
 日本の赤ワインブームがはじまったのも、この説に支えられていた。
 しかし、日本人で赤ワインを飲む週間のある人が飲まなかった人より心筋梗塞になりにくいデータはない。
 そもそも、日本人は日本人はフランス人よりも心筋梗塞になりにくい。
 そして日本人はお茶をよく飲みが、お茶にもポリフェノールが含まれていて、その効果を得ているかもしれないともいわれている。

 実は、赤ワインに含まれているポリフェノールよりも心筋梗塞予防に効果があると考えられている食行動のポイントがある。
 それは、アメリカ人に比べるとフランス人は、食べる量が少ないということだ。
 ファーストフード店や中華料理店の同じメニューを、アメリカとフランスとで比較すると、明らかにフランスで出されるもののほうが少量なのである。
 つまり、アメリカでは目の前に大量の食べものが出され、それを食べてしまっている。
 その結果として、肥満が多く、肥満から引き起こされる動脈硬化や心筋梗塞が多いと考えられるのだ。

 ちなみに、OECD加盟諸国のデータ比較によると、アメリカではBMI(ボディマス指数:身長からみた体重の割合を示す体格指数)が30を超える肥満成人の割合は30.6%である。
 フランスは9.4%、日本はわずかに3.6%である。
 少食であることがフランチ・パラドックスを生み出したのかもしれない。
 また、フランス人は食の楽しみを高く評価しており、脂肪をとることを気にせず、しかも自分の食生活は健康的だと考えている。
 これに対してアメリカ人は、食の楽しみを低く評価し、脂肪をとらないように努力し、さらにそのうえ、自分の食事を健康的でないと評価しているという。

 フランス型食行動とアメリカ型食行動の、どちらがより健康的かは明白である。
 最近、「メガ食品」と呼ばれる「1000キロカロリー」を超すファーストフードがブームだという。
 これを提供している会社が食の重要さや食を提供する社会的責任を理解しているか疑問である。





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2010年8月24日火曜日

★ マイクロソフト戦記:世界標準の作られ方:トム佐藤

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● 2009/01



 デファクト・スタンダード(事実上標準)は、マーケットコンセンサス(市場合意)なくしてはありえない。
 では、いかにしてマーケットを説得するのか。
 そもそも、マーケットとは何か?
 誰が説得すれば、納得するのか?

 ネットワーク社会学の権威、アルバート・ラズロ・バラバシ教授はIBMのような会社をコンピュータ業界の大きな「ハブ」と呼ぶ。
 ハブとは大勢とのつながりを持つ企業のことである。
 つながりの少ない企業は「ノード」と呼ばれる。
 ネットワーク社会では大きなハブが市場を支配し、その周りにちいさなハブが点在する。
 さらのその周りに無数のノード企業が散在している構図になる。
 ハブが少なく、小さなノードが無数にあるあるネットワークを「スケールフリー・ネットワーク」というが、それはやがてハブが力を持つようになり、ちいさなノードを引きこんでゆく。

 IBMの場合、PCを発表すると同時にマイクロソフトをはじめ、多くのソフト企業が協力者になっていった。
 時には競合相手からノード企業を引き剥がして見方につける。
 大きなハブが威力を発揮し、小さなハブやノードを引きこんでいくと、そのうち一点集約型のネットワークができる。
 これを「スター型ネットワーク」というが、一旦、スター型に集約されると、ひとつのハブ企業が市場を独占するようになる。
 このプロセス=「ボース・アインシュタイン凝縮」とといい、インドの物理学者サテイエンドラ・ボース教授のの手紙をもとにアインシュタインが予言した原子物理学の減少に由来する。
 バラバシ教授は、ネットワークがスケールフリーからスター型に集約されていくプロセスが、それと同じであることを発見した。
 
 原子物理や会社同士の業界ネットワークだけでなく、さまざまなネットワークがスケールフリー型から、ある時点でスター型に集約されていくのである。
 現在のパソコン業界は、そのネットワークはボース・アインシュタイン凝縮を経て、スター型に集約された後であり、中心はIBMではなくマイクロソフトになった。
 ではマイクロソフトは、どうやって業界の中心点を奪い取ったか。
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 デファクトスタンダード(事実上標準)の作り方にマニュアル本はない。
 では、デファクトスタンダードを作り出す定石はないのだろうか。
 私はこう答えたい、
 「絶対作り出せるというような魔法は存在しない。」
 が、それを作り出すことを可能にんする条件を挙げることはできる。

 第一に「核となるテクノロジー」をもっていること。
 テクノロジーをベースに「最大多数の最大幸福」の論理で、そのテクノロジーを分けへだてなくオープンにすること。
 胴元だけが儲かるようなシステムにはデベロッパー達は集まらない。
 デベロッパーズ・リレーションズ部隊を設立し、開発キットを提供する。
 開発者が困った場合は、サポートするようなメカニズムが必要である。

 第ニに、ネットワークを正確に把握すること。
 デファクトスタンダードは、市場のコンセンサスなくしては実現しない。
 人間関係のネットワークの形を理解し、どこの誰を巻き込んで、ドノハブを取り込めばいいのかを知っておくこと。

 第三に、テクノロジーの波を理解すること。
 少なくとも、第三波が来る前から準備しておくこと。
 大波が来たとき、一気に市場普及へと動けるようにしておかないといけない。
 テクノロジーの進歩と普及の度合いを敏感に感じとり、的確なスペックの商品を出荷できるようにしておくこと。
 そのためには、3回はバージョンアップするくらいの資金力と開発担当者の体力がいる。

 第四に、ネットのみならず目に見えるイベントで、人間関係を構築しておくこと。
 満場の人だかりを確認して、初めて市場関係者はテクノロジーの流行を確認するのだ。
 だから、イベントには市場のメジャープレイヤーを取り込んでおくことが不可欠である。

 そして最後に、そのテクノロジーには、人を魅惑しひきつけることができる特徴を持たせる必要があること。
 そのテクノロジーが、あるいは商品が「最大多数の最大幸福」をもたらすものでなくてはならないということである。









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2010年8月21日土曜日

★ 地球温暖化後の社会:SRESシナリオ:瀧澤美奈子


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● 2009/02





 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)のシナリオは、2000年にIPCCが出版した「排出シナリオに関する特別報告書」でまとめられ、第3次評価報告書や第4次評価報告書の気候予測に使われています。
 このシナリオのことを、頭文字をとって「SRESシナリオ」と呼んでいます。

 SRESシナリオは、それまでに世界中の研究者が提案した星の数ほどの経済社会シナリオを、大きく2つの軸(4つのストリーライン)に分類し、最終的に、
 A1-FI
 A1-T
 A1-B
 A2
 B1
 B2
の6つに整理したものです。

 2つの軸とは、縦軸に
  [A]:経済成長を重視する
  [B]:環境を重視する
 横軸に
  [1]:グローバリゼーションの進展
  「2」:地域主義の発展
をとったものです。



 【A1シナリオ】
 A1シナリオとは経済活動を重視し、グローバル化をすすめる「高成長型社会」です。
 第二次大戦後の日本や現在の韓国、中国の経済発展がこれにあたると、特別報告書では述べている。
 この世界では、世界中が経済成長し、発展途上国の成長によって南北格差は急激に縮まり、人口は21世紀半半ばにピークに達した後、低下する。
 また、新技術や高効率化技術が急速に導入されていく。
 また、そのエネルギー源に何を選択するかで、さらに3つに分類される。
①.A1-FI:化石エネルギー源重視
②.A1-T:非化石エネルギー源重視
③.A1-B:すべてのエネルギー源にバランスよく依存

 【A2シナリオ】
 経済成長と地域主義を重視する「多元化社会」である。
 国際的な協調はあまり重視されない。
 独立独行で、地域の独自性が保持される。
 その結果として、世界の人口は増加し続け、経済成長や技術変化は地域によって異なる。

 【B1シナリオ】
 「持続的発展社会型社会」である。
 環境に配慮しながら、社会や経済などが国家や地域などの境界を超えるグローバリゼーションを重視し、地域格差が縮小する社会である。
 物質志向が減少し、経済はサービスと情報にしふとする。
 クリーンで省エネルギーの技術が導入される。
 世界人口はA1と同じく21世紀半ばでピークに達し、その後減少する。
 経済、社会、環境は持続可能性のために、世界的な対策が重視される。

  【B2シナリオ】
 環境と地域主義を重視する「地域共存型社会」である。
 経済、社会、環境は持続可能性のために、地域的な対策に重点が置かれる。
 世界人口はA2より穏やかに増加し、経済発展は中間的レベルで止まる。
 技術変化はA1やB1より緩慢であるが、より広範囲に及ぶ。

 A2、A1-B、B1シナリオと、2000年レベルで一定の場合をまとめて一つのグラフにしたものが図5である。



 グラフの枠外に書かれている帯は、2100年時点における書くシナリオの気温予測値である。
 帯が気温の予測幅で、最も確からしい値が中の横線です。

 将来の気温上昇を順番にあげてみます。
1...A1-FI
2...A2
3...A1-B
4...B2
4...A1-T
6...B1
 (B2とA1-Tはほぼ同じ)








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2010年8月18日水曜日

: 解説

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● 2009/07[2006/11]



 吉村昭が亡くなって3年がたつ。
 7月31日は祥月命日である。
 吉村昭の発病から死にいたる経緯については、本書収録の津村節子「遺作について-後書に代えて」に詳しいのでここでは省く。
 一つだけ記述しておくと、吉村昭は自らの死を自覚し、最期の時を選んだことである。

 吉村昭は弟の死を看取った『冷い夏、熱い夏』で
 「限界ぎりぎりまで生きてみたところで、苦痛に満ちた時間を味わわされるにすぎない。
 このような場合、患者は、自殺という行為によって苦しみから逃れたいと願い、それを実行に移すこともある。
 しかし、生を享けた人間の義務として、肉体の許す限りあくまで生きる努力を放棄すべきでない、と思う」
と述べており、これが吉村昭の死生観の究極の立場だろう。

 ここで眼を見据えておきたいのは、最後の入院をする前まで推敲に取り組んでいた「死顔」の原稿の内容と、人生の最期において点滴の管をはずし、カテーテルを引き抜いた吉村昭の行為との対比である。
 「死顔」にはみずから死期が近いと知った時、すべての延命処置を断って死を向かえることを理想とするが、
 「医学の門外漢である私は、死が近づいているか否か判断のしようがなく、それは不可能である」
と書いてある。
 この吉村昭の理想の死の形とは、最後の入院前までに到達していた認識である。
 それが入院後の7月18日には、
 「死はこんあにあっさり訪れてくれるものなのか。
 急速に死が近づいてくるのが、よくわかる。
 ありがたいことだ」
と書いている。

 この2つの記述には決定的な認識の違いがある。
 7月18日に吉村昭は、死そのものが近づいてきたこと、を完全に把握していた。
 それゆえ、「ありがたい」の言葉が自然に出てきた。
 18日から30日までは、「死」の深まりをじっと凝視してきた。
 そして30日朝、その死を把握しつくした
 吉村昭は人生の別れに一杯の酒と一杯のコーヒーを所望し、以後、すべてを断った。
 死が完璧にみずからの中で煮詰まった時、吉村昭は点滴の管をはずし、カテーテルを引き抜き、死の世界へと渡って行った。

 その場に居合わせた津村節子は、吉村昭がみずからの死を把握し、死の淵を渡って行くのを見た。
 「吉村昭が覚悟し、自分で自分の死を決めることができたということは、彼にとっては良かったことではないかと、今になって思っております。
 ただ、私は彼のそういう死に方を目の前で見てしまったから、----。
 まだ、生きている、とは思えないんです。
 あんまりひどい、勝手な人だと思います」
と津村節子はお別れの会で述べた。

 3年たって吉村昭の死が、一層の深まりをみせてきたことをしみじみ感じることができるようになったと思う。
 ここで一つ考えてみたい問題がある。
 発病から死までの間で、吉村昭の内部で死がいかに近づいてきたかは見てきた通りだが、作家としての吉村昭の内部でどういう変遷をたどってきたかに触れておきたい。
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 平成12年12月に短編集『遠い幻影』が文庫版で刊行された。
 その解説で僕は、
 「荒々しい経験をしたあと、人は穏やかで普遍的な世界を肯定する場所に居場所を見つけるにいたる。
 それが人生の自然なのだと吉村昭は言っているように思える。
 その一方で、その自然に我が身を任せることができない人もまた多い。
 それらの人生の微細を吉村昭は短編で写しとっているのだろう」
と書いた。
 これを読んだ吉村昭から手紙をもらった。
 そこには僕の説を受け入れた上で、
 「なんとなく自分が一つの道に入って歩みはじめているのを、かなりはっきり意識している」
ことを示唆し、それは
 「まちがいなく、現実には老いを少しも感じ無いなら、小説家として死の沼への道を確実に下り始めている思いをしているためです」
と告白してあった。

 作家とはこうした意識を大事にしつつ一歩一歩と自分を深めていく人間なのであろう。
 そういう生死の道を歩きつくした吉村昭の小説はいつまでも僕の心に残るにちがいない。

 平成21年5月  川西政明







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: 遺作について-後書に代えて 津村節子

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● 2009/07[2006/11]


[抜粋で]

 平成17年1月義は舌癌を告知され、放射線治療のため年内に3度入院した。
 今年2月2日に、完全に取り切れなかった舌癌と、PETの検査によって新たに病巣が発見された膵臓全摘の手術が行われたが、この1年7カ月は私が生きてきた年数の何十倍もの年月が経過したような気がする。

 吉村は病気について親戚にさえも知らせぬようにと言明していたので、突然の死亡報道にかれを知る人たちは愕然としたようである。
 吉村について書いて欲しいという原稿依頼が相次いだが、私はすべて辞退した。
 だが、遺作になった「死顔」に添える原稿だけは、書かねばならなかった。

 吉村は手術の前に克明な遺書を書き、延命治療は望まない。
 自分の死は3日間伏せ、遺体はすぐに骨にするように。
 葬式は私と長男長女一家のみの家族葬で、親戚にも死顔をみせぬよう。
 電話は、「ただいま取り込んでいる」ので、と拒ってもらって応対せぬこと。
 弔電お悔やみの手紙を下さった方には失礼していちいち返事を書かぬこと。
 そして、原稿用紙2枚に、
 「弔花御弔問ノ儀ハ故人の遺志ニヨリ御辞退申シ上ゲマス 吉村家」
と筆で書き、門と裏木戸に貼るようにと言い遺して逝った。
 香奠はかねがねいただかぬ話をしていた。
 人さまに御迷惑をかけぬよう、また私に忙しい思いをさせまいとする配慮からであった。

 吉村は入院前に書き上げていた短編「死顔」があった。
 「死顔」の推敲は、果てしもなく訂正し続けた細かい字が並び、それを挿入する箇所が印してある。
 あれはいい作品よ、私が言うのだから信じてね、と行っても納得した顔はしなかった。
 7月18日の日記に、
 「死はこんなにあっさり訪れてくるものなのか。
 急速に死が近づいてくるのがよくわかる。
 ありがたいことだ。
 但し、書斎に残してきた短編「死顔」に加筆しないのがきがかり」
と記されている。

 かれは自宅に帰ることを切望していたが、退院するにあたっては、医科歯科大と地元クリニックとの連携が不可欠で、その手続や病室の準備、数種の薬液を混入する点滴の練習などに忙殺された。
 一日も早く連れ帰らねばタイミングを逸すると私は焦り、CTを撮る予定を断わって24日に退院した。
 一日早まったその日の朝は嬉しさに起き上がって顔を洗いヒゲを剃り、丁重に歯を磨いた。
 CTの結果は果たしてどうであったか。
 それによってしかるべき治療が出来、もう少し延命出来たのかもしれない。
 そう思うと今も心が乱れる。
 井の頭公園で鳴くヒグラシを聞き、樹間を吹き抜けてくる風が入る病室で、かれは満足気だった。

 病状は日々悪化をたどり、四日間不眠の私に代わって娘が二晩泊り込みをしてくれたが、再び私が付き添うことになった日の朝、「ビール」と言った。
 吸呑みにビールを入れて一口飲ませると、「ああ、うまい」と言い、しばらくして更に「コーヒー」と言った。
 どちらも長いあいだ口にしなかったものである。
 口腔を潤すほどの量だったが、愚かな私は、かれの生きる意欲を感じて気持ちが明るんだ。
 しかし、それから私はかれの言葉を聞いていない。
 意識ははっきり覚めていて、じっと自分の中にこもってしまったように見受けられた。
 あとから思えば、死が刻々と間近に迫ってくるときを見定めていたかのようだ。

 夜になって、かれはいきなり点滴の管のつなぎ目をはずした。
 私は仰天して近くに住む娘と、24時間対応のクリニックに連絡し、駆けつけて来た娘は管をなんとかつないだが、今度は首の下に挿入してあるカテーテルを引きぬいてしまったのである。
 私には聞き取れなかったが、もう死ぬ、と言ったという。
 介護士が来て急いで処置しようとした時、彼は強く抵抗した。
 このままにしてください
と私は声を詰まらせ、娘は泣きながら、
 お母さん、もういいよね
と言った。
 
 「死顔」のゲラ校正は、私がかれのためにしてやれる最後の仕事となったが、幕末の蘭方医佐藤泰然が、自分の死期の近いことを知って高額な医薬品の服用を拒み、食物も断って死を迎えたことが書かれている。
 「医学の門外漢である私は、死が近づいているか否かの判断はしようがなく、それは不可能である」
と書いているが、遺言に延命治療は望まない、と記したかれは、佐藤泰然のごとく自ら死を迎えいれたのである。

 作中、私が褒めた場面で、川があたかも激流のように、こまかい波を立てて流れ下っている描写があるが、かれの父の死が引潮時であったように、吉村が息を引き取ったのは、7月31日の未明、2時38分であった。

 平成18年8月







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★ 死顔:ぬき書き:吉村昭


● 2009/07[2006/11]



 長男が、言葉を続けた。
 「病院ではペースメーカーで延命することもできるが、どうなさいますか、と言ったそうです。
 母は、その必要はありませんとお断りしたようです」
 長男の言葉には、それについて私の意見を聞きたいという響きが感じられた。
 私は、即座に、
 「気味のお母さんの言ったことは正しい。
 そうあるべきだ」
と、答えた。
 「それでは病院に行きましたら、また電話します」
 私は、電話を置いた。

 「スケルトン」という英語の発音がよみがえった。
 中流程度の会社の経営者であった中学時代の友人が、病名はなんであったのか知らないが、数年前重篤状態におちいり、延命措置を受けた。
 事情はつまびらかではないが、遺産相続にまつわる税金への家族の配慮であるらしく、かれは意識のないまま多くの管を体につけて生きつづけた。
 彼の体から管がはずされたのは、措置を受けてから2年半後で、家族のみで密葬をすませた。
 その直前、医師である中学時代の友人が家族の請いでその知人を診察したことがあり、その状態について、
 「もはや、スケルトンだった」
と言ったことを耳にした。
 さまざまな事情があり、それぞれに理由があるのだろうが、骸骨同様になった肉体のみを人為的に生かしておくのは酷ではないのだろうか。
 友人の体に延命措置がほどこされたのは、家族の意志によるものだが、本人はすでに死者であることに変わりなく、その意志は無視された形になっている。

 嫂が延命措置を辞退したのは、おそらく病院側の申し出たその措置の内容を十分知らず、夫の臨終に際した従来通りの妻の態度に単純にしたがったまでであったのだろう。
 むろん高齢な夫に死の安らぎを得させようとした気持ちがその基本にあったことは間違いない。

 嫂が病院側の申し出を辞退したのは、私の考えと一致し、それは遺言にも記してある。
 幕末の蘭方医佐藤泰然は、自らの死期が近いことを知って高額な医薬品の服用を拒み、食物をも断って死を迎えた。
 いたずらに命ながらえて周囲の者ひいては社会に負担をかけぬようにと配慮したのだ。
 その死を理想と思いはするが、医学の門外漢である私は、「死が近づいているか否かの判断」のしようがなく、それは不可能である。
 泰然の死は、医学者ゆえに許される一種の自殺と言えるが、「賢明な自然死」であることに変わりはない。





 【習文:目次】 



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2010年8月17日火曜日

: クジラの所有者は誰?

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● 2009/01



 前述のとおり、世界には80種類以上のクジラが生息している。
 このうち、ヒゲクジラの仲間は全部で20種類、そのほかのの60数種は歯クジラの仲間である。
 
 ヒゲクジラ20種すべてと歯クジラのマッコウクジラ、シロイルカ(ベルーガ)、シャチなどとの人間のかかわりは特に顕著である。
 大型ヒゲクジラは、南北両半球の低緯度と高緯度の間を長距離回遊する。
 この性質を「高度回遊性」と呼ぶ。
 回遊は、低緯度帯の繁殖場と高緯度帯にある索餌場との往復運動として行われる。
 サケ・マスやマグロなども高度回遊性の資源であり、無制限な利用から資源管理の時代へと変化してきた。
 クジラを保全し、絶滅から救う方策として、特定の繁殖場や索餌場を聖域として、人間の介入を制限する提案がなされてきた。

 現在、国連海洋法条約(UNCLOS)により、
①.主権国家の領海(12カイリ)
②.排他的経済水域(200カイリ)
③.自由海面(公海)
となっている。

 下の表からわかるように、1980年代にはほとんどの大型クジラの捕鯨が主要な漁場である大西洋、南極海、北洋において禁止とされた。
 インド洋も1979年に保護区とする案が可決された。
 が、インド洋沿岸国は、クジラによるマグロの食害が3割に達しており、当時、反捕鯨国でありながら国内事情との兼ね合いを行っていないことが問題となっている。
 1980年代以降あたりから登場するのが「クジラ聖域論」である。
 1979年に上記のようにインド洋の聖域化が採択された。
 インド洋、南大西洋、南極海における聖域案は、クジラ資源の徹底的な保護を目指すもので、クジラ類の持続的な利用を懸案したものではない。
 オーストラリアが自国の領海をクジラの聖域とすることを宣言しているのも同じような発想によるものである。
 
 捕鯨推進国ないし団体と、反捕鯨国や団体との間には考え方や取り上げられている論点にはかなり大きな開きがある。
 持続的にクジラ類を利用すべきとする推進国にたいして、反捕鯨の立場からは、残酷である、非人道的であるとの意見が表明されている。
 商業的であるから時代遅れであるとかの意見も強い。
 捕鯨に反対しながら、国内的には狩猟を認め、野生動物を兵器で殺戮しているいう分裂した思想への批判もある。
 たとえばオーストラリアでは、数千年以上昔に持ち込まれたイヌの一種デインゴが虐待されている。
 その映像をみたが、ヤラセかどうかはは別として狂気の沙汰としか思えなかった。
 日本でも、イヌやネコへの虐待事件があり、それに輪をかけたような仕業に憤りさえおぼえた。

 増えすぎたオオカンガルーの大量殺戮計画も世界中に衝撃を与えた。
 首都キャンベラ近くにある2つの軍用地でカンガルーが大繁殖した。
 草原で草を摂食するために、オーストラリアでも貴重な植生が脅かされ、ある種のガやトンボ、バッタ、カラシナの一種などが絶滅の危機にある。
 ということで、軍による400頭の間引きが計画されたが、動物愛護団体からの批難を浴びて計画が暗証に乗り上げた。
 カンガルーの食肉や毛皮は世界中の国々に輸出されており、この点でも動物愛護団体から批判が高まっている。
 カンガルーの異常繁殖は生態系の破壊、商業的な利用をめぐってさまざまな問題を引き起こしている。

 けれど、最近オーストラリアでは地球温暖化防止の製作として、ウシやヒツジのかわりにカンガルーを増産する計画を発表した。
 ウシとヒツジが出すゲップがメタンガスを含んでおり、温暖化を助長する。
 ウシやヒツジの頭数を減らし、メタンをほとんど排出しないカンガルーを増やすことが地球環境にとってもよく、温暖化ガス排出を2007年度比で3%減らすことができると試算された。
 報道でも大きく取り上げられたカンガルー問題は、虐殺の批難を打ち消す上で十分に効果があった。
 野生のカンガルーを増やす計画は、計画立案者の中では妙案とされたであろう。
 二酸化炭素の排出を削減するならば、なりふり構わないとする考えが、見え隠れする。
 かれらの自然観は、どこか日本人と違うような’気がする。
 カンガルー殺しに対する批判についての記者団へのインタビューに答える形で、
 「カンガルーとクジラの問題は違う。
  反捕鯨の立場は今後とも貫く」
という発言を知ったとき、こうした発想が今後地球でますます大きくなることだけは避けたいと思うのだが。









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: 先住民生存捕鯨

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● 2009/01



 IWCの年次総会では、「先住民生存捕鯨」なる用語がもちいられている。
 原住民も先住民も同じ内容である。
 国際捕鯨委員会を構成するのは、日本を含め参加国の支配的な民族に属する人間である。
 ここには先住民や原住民の代表が参加しているわけではない。
 アメリカやカナダの国家を実質的に動かしているのは欧米人であり、400年ほど前に移住してきた人々の末裔である。
 先住民は自らをファースト・ネーション(Firtst Nations)と呼び、数千年前からその土地で生きてきたことを主張している。

 エスキモーはもともと「生肉を食べる人」の意味で、差別につながるとする意見もかってはあった。
 今ではアラスカの先住民にたいしてはエスキモー、カナダやデンマークに居住するモンゴロイド系の先住民に対してはイヌイットの用語が定着している。
 国内で先住民生存捕鯨が行われているのは、アメリカのエスキモー、ロシアのチュクチ人、デンマーク領グリーンランドのイヌイット、カリブ海のセント・ビンセントである。
 IWCの管轄外にあるイルカ類を捕獲している国としては、日本のほかにロシア、カナダ、デンマーク自治領のフェロー諸島などがある。
 インドネシアはIWCに加盟していないが、レンバダ島におけるようにマッコウクジラの捕鯨が営まれている。
 イルカ漁になるとさらに広い地域で行われている。
 国としては捕鯨に反対していても、国内で捕鯨を認めていることも普通にある。

 先住民生存捕鯨を見止めるという発言はいかにも聞こえはいいが、先住民を白人に下におく差別思想がどこともなく匂ってくる。
 その典型がニュージーランドで起こった漂着クジラの扱いをめぐるニュージーランド政府の対応だ。
 ニュージーランドの先住民であるポリネシア人のマオリは、漂着したクジラを食べるだけでなく売ろうとした。
 すると政府は、
 「先住民だから、生存捕鯨の一環として食べることはかまわない。
 しかし、売ることは商業的な行為だから駄目だ」
という判断を下した。
 これに対して、マオリの人々からものすごい反論が起こった。

 1998年2月にカナダで第一回の世界捕鯨者会議が開催された。
 その会議で、マオリの代表はものすごい剣幕で発言した。
 「クジラは私たちにとって宝物であり、売ろうと売るまいが勝手である。
 ところがあなたがた白人は、私たちが栄養学的にクジラを必要としているから食べていいといいとは、何たる言い草か。
 私たちは栄養失調の状態にはない。
 私たちの祖先はクジラからいろいろな恵みをあずかってきた。
 私たちは、その伝統を守るためにクジラを食べるのである。
 『売る』のも同様である。
 われわれを先住民として馬鹿にしている」
といった趣旨のペーパーをもとに猛反対を繰り広げたのである。

 「地球環境をまもろう」
 「クジラをまもろう」
と一国の大統領が発言すると聞こえはいいが、先住民の人々にしてみれば、
 「なぜ、自分たちが犠牲にならなければいけないのか」
ということになる。
 この議論では、ニュージーランド政府が先住民の文化を無視してクジラを政治の道具としたのである。
(原住民生存捕鯨の定義の遵守と商業捕鯨との差異化)

 アメリカは国としては先住民生存捕鯨を認めざるをえない。
 だが、その先住民であるエスキモーの人々が捕鯨の対象としているコククジラやホッキョククジラの資源状態は悪い。
 その反面、日本によるミンククジラの捕鯨には断固として反対の立場をとっている。
 ミンククジラが増えすぎて、逆に他のクジラや海洋生態系全体に悪影響を与えることが懸念されているにもかかわらずである。

 小型沿岸捕鯨は1988年に禁止となった。
 現在、日本近海には推定で、「2万5000頭」のミンククジラが生息している。
 そのうちの「150頭」の捕獲枠を要求している。

 下関で2003年に開催された第55海国際捕鯨委員会で、日本政府は「先住民の取り扱いに関する公平性」の議論として、日本の小型沿岸捕鯨が不当に排除されているとして、アラスカやカナダの先住民による捕獲枠の提案に反対する意思を表明した。
 自国内の先住民捕鯨と日本の小型沿岸捕鯨をまったく違うものと考えてきたアメリカは、この突然の態度表明にあわてた。
 日本に調整を働きかけて後に可決されたが、アメリカ政府の政治的スタンスが暴露されることになってしまった。

 現在、日本では沿岸域で小型の捕鯨が営まれている。
 商業捕鯨は禁止状態にあるが、国際捕鯨委員会の枠組みに入らない捕鯨が農林水産大臣の許可営業として営まれている。
 全国には4つの基地がある。
①.北海道網走市(ツチクジラ:2頭)
②.宮城県石巻市鮎川(ツチクジラ:26頭、ボンドウクジラ:50頭) 
③.千葉県南房総市和田(ツチクジラ:26頭、マゴンドウクジラ50頭)
④.和歌山県太地町(マゴンドウクジラ:50頭、ハナゴンドウクジラ20頭)
の割合で配分されている。
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2010年8月15日日曜日

★ クジラは誰のものか:秋道智彌


● 2009/01



 現在、世界に生息するクジラは八十数種類である。
 研究者によって分類の仕方に若干の違いがある。
 クジラのほとんどは海洋に生息する。
 が、カワイルカのように淡水域で生活する種類もいる。
 大きさも30mのシロナガスクジラから、2mに満たないコビトイルカまで多様である。

 最近では、1998年に山口県の日本海側にあつ角島(つのしま)沖(下関市豊北町)で漁船と衝突したクジラは新種であることが研究者によって明らかとなり、「ツノシマクジラ」と命名された。
 その快挙は、2003年の「ネイチャー」誌に掲載された。
 このクジラは、形態的には「ナガスクジラ属ニタリクジラ」に類縁することがわかっていたが、DNAの塩基配列の解明によって別種とされた。
 しかも、ニタリクジラ自体も同様なDNA塩基配列の研究からニタリクジラとエーデンクジラの2種類に分類された。
 ナガスクジラ属のクジラが、一気に6種から8種に増えたわけである。
 今後も、クジラの新種が発見される可能性がある。
 地球の海は分かっているようでまだまだ未知の世界である。

 広い大洋を遊泳するクジラは自然物であり、本来誰のものでもない。
 そもそもクジラを利用する権利はどのように主張されてきたのか。
 クジラを殺すことは神の意思に反するとか、道徳的にゆるされないと考える立場の人にとり、人間はクジラを支配し、所有することなどできないと考える。
 しかし他方で、クジラはカミから人間に贈られた海の幸であるとと考えるひとびともいる。

 野生動物は自然的存在であるが、ウシやブタのような家畜は人間が自然に介入して作り出したものである。
 したがって、前者は誰のものでもないが、後者は所有者が決まっている。
 この考え方は意外と広く認められている。
 問題となるのは、家畜は人間が作り出したものであるから殺すことはゆるされるが、誰のものでもない野生のクジラを勝手に殺すことは許されないと主張する人々の考えである。
 これと同じ発想は、長崎県壱岐で1980年に起こったイルカ裁判での後半におけるアメリカ側の弁護人の供述にも表明されている。
 かなり根の深い問題であることをうかがわせる。

 クジラと人間のかかわりについて考える最大のポイントは、クジラを消費するのか、あるいは消費しないのか、という点である。
 アニマル・ウエルフェア(動物愛護)の立場からすると、人間が動物を消費する行為は基本的に許されない。
 動物愛護派の人々の頭には、動物の消費=悪、非消費=善、という図式が根底にある。
 クジラについていえば、消費の例が捕鯨であり、非消費の例がホエール・ウオッチングである。
 クジラの消費を悪とみなす人々は、絶滅に瀕する状況にあるクジラを商品化する行為は即刻やめるべきだと主張する。
 これに対して、捕鯨擁護派は絶滅に瀕するクジラをこれ以上獲りつづけることは資源管理上好ましくないが、資源量が十分であるクジラであれば、控えめに見た量を獲っていくことこそ海洋資源の適正な利用の上で重要である、とする。

 現在、IUCN(国際自然保護連合)によるレッドリストには、絶滅危惧種として、
 シロナガスクジラ
 ナガスクジラ
 セミクジラ
 イワシクジラ
 などの大型ヒゲクジラ類が挙げられている。
 しかしもっとも絶滅危惧が案じられているのは河川に生息する小型のカワイルカである。
 絶滅危惧ではないが、危急種・準危急種として
 ザトウクジラ
 マッコウクジラ
 ホッキョククジラ
 コククジラ
 ミンククジラ
が、リスト化されている。

 地球上に現存するすべてのクジラ・イルカ類が絶滅危惧の状態にあるわけではない。
 南極海には約76万頭の「クロミンククジラ」が生息されているとされている。
 科学的な調査によるので、虚偽の数字というわけではない。
 クロミンククジラはこれまで捕鯨の対象とはほとんどされてこなかった。
 現在では急激に増え、シロナガスクジラと餌生物のオキアミを取り合う競合関係にある。
 南極海に生息するクロミンククジラは北半球のミンククジラとは別種である。
 
 シロナガスクジラの場合、資源量を低下させたのは乱獲のせいである。
 その資源量は南極海におけるシロナガスクジラ漁の開始前の「1/100~1/200」までに低下したとされている(推定で20万頭から1,700頭に減少)。
 そのため、1964年に世界で全面禁漁となった。
 が、現在でも資源回復のメドはあまり立っていない。
 これは、餌を同じくするクロミンククジラがその生態学的地位(ニッチェとよぶ)に収まって増加したため、シロナガスクジラの増加が抑えられてしまったためと思われている。
 また、アザラシやペンギンによる餌生物の捕食を考えると、シロナガスクジラの生存基盤は大きな危機にさらされていることになる。
 クロミンククジラを捕鯨によって適切な量だけ間引くことが提案されているのはこの理由による。
 しかし、それによって本当に増加するかどうかははっきりしていない。

 推計ではあるが、クジラが捕食する魚類は世界全体で年間「2億トン~5億トン」であり、それに対して人間による漁獲量は「9,000万トン」であり、、はるかに多いとされている。
 クジラ以外の海棲哺乳類や鳥類による魚類の捕食分を加えると、その量はさらに多くなる。
 アシカ、オットセイ、トドなどが保護の対象になっているので、それらの個体数の増加も考慮しないといけない。
 イカ、サンマ、スケソウダラなどの漁業資源は日本、ロシア、韓国などに利用されてきたので、このままクジラが’増え続けると人間の将来にわたって確保すべき食料をクジラと競合することになる。
 人間の食料を安定的に供給するために、捕鯨によって間引きして漁業資源を確保し、併せて食料としてもクジラを持続的に利用するのだ。
 そのために人間はクジラ資源を管理する権利と義務があるとする議論がある。

 1992年のリオデジャネイロにおける地球環境サミットで、最重要課題の一つとして食料の安全確保の問題が取り上げられた。
 北太平洋でミンククジラがイカ、サンなどを大量に捕食することとの関連で、世界の食料問題にとり、海洋資源をめぐる人間とクジラの競合関係がネックになることが憂慮されている。
 海洋生態系のバランスと将来の食糧確保のため、間引きは当然とする考えである。
 しかし、肝心のサンマやイカ、スケソウダラなどの資源動向がきちんと明らかになっていないとすれば、ミンククジラだけが魚を大量に食べているとする議論は注意が肝要である。
 生態系では季節変化を含めて時間的は環境の変動が常に起こっている。
 このことを十分理解しておくことは、最低限必要なことである。






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2010年8月10日火曜日

: あとがき

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● 1993/09[1992/08]



 動物が変われば時間も変わる、ということを知ったとき、新鮮なショックを感じた。
 「時間は唯一不変」のものだと頭から信じ込んできた。
 時間にはいろいろある、と聞いて、何か一つ賢くなったような気がした。
 
 この時、動物学を勉強し始めて10年以上たっていた。
 別の意味でのショックも大きかった。
 時間が違うということは、世界観が全く異なっている、ということである。
 「相手の世界観をまったく理解せずに動物と接してきた。こんな態度でやってきた今までのぼくの研究はどんな意味があったのか?」
と、呆然とした。
 それと同時に、こんな大事なことを教えてくれなかった今までの教育に、怒りを感じた。
 本書はその怒りを「てこ」にして、自分自身への反省をこめて書いたものである。

 このショックを機に、動物の世界観について考えるようになった。
 おのおのの動物は、それぞれに違った世界観、価値観、論理をもっている。
 たとえその動物の脳味噌の中にそんな世界観がなくても、動物の生活の仕方や、体の作りに、その世界観がしみついいぇいるに違いない。
 それを解読し、ああ、この動物はこういう生活に適応するためにこんな体のつくりをもち、こんな行動をするのだなと、その動物の世界観を読み取って、人間に納得のいくように説明する、それが動物学者の仕事だと思うようになった。
 そう想い定めてやったのが、終章で紹介した棘皮動物のデザインの仕事である。

 近頃、外国とのまさq角ニュースを聞くにつけ、違う世界観を理解することの難しさがよくわかってきた。
 同じ人類の間でそうなのだから、違う動物の世界観を理解するなど、よほどの努力をはわわなければできることではない。
 しかし、その努力をしなければ、決して人間はさまざまな動物を理解し、彼らを尊敬できるようにはならない。
 「サイズを考える」ということは、ヒトというものを相対化して眺める効果がある。
 私たちの常識の多くは、ヒトという動物がたまたまこんなサイズだったから、そうなっているだけなのである。
 その常識を何にでも当てはめて解釈してきたのが、今までの科学であり哲学であった。
 哲学は人間の頭の中だけを覗いているにすぎないし、物理や化学は人間の眼を通しての自然の解釈なのだから、人間を相対化することはできない。
 生物学により、はじめてヒトという生き物を相対化して、ヒトの自然の中での位置を知ることができる。
 今までの物理学中心の科学は、結局、人間が自然を搾取し、勝手に納得していたもの、ではなかったのではないだろうか。
 本書を執筆の途中で、沖縄から東京に引っ越した。
 ヒトの歩く速度が違う。
 しゃべる速さが違う。
 物理的時間にきつく縛られた都会人の時間が、果たしてヒト本来の時間なのかと、疑問に感じてしまう。
 
 生き生きとした自然に接していないと、人間はどうもすぐに頭の中を見つめはじめてしまう
 そして、抽象的になっていくもののようである。
 抽象的になりはじめると、もう止めどもなく思考のサイズは大きくなり、頭でっかちになっていく。
 都会人のやっていることは、果たして「ヒト本来のサイズ」に見合ったものなのであろうか?
 体のサイズは昔とそう変わらないのに、思考のサイズばかりが急激に大きくなっていく。
 それが今の都会人ではないだろうか。
 体を置き去りにして、頭だけがどんどん先に進んでしまっている。
 それが、現在の人類の不幸の最大の原因だと、私は思っている。

 1992年4月  本川達雄













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: 「島の法則」

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● 1993/09[1992/08]



 ではなぜ、サイズの小さいものが系統の祖先になりやすいのか。
 その理由は、小さいものほど「変異が起こりやすい」ことにある。
 小さいものは一世代の時間が短く、個体数も多い。
 よって、短時間に新しいものが突然変異で生まれ出る確率が高い。
 また、小さいものほど移動能力が小さいので、隣の仲間から地理的に隔離されやすく、したがって新しく変異で作られた集団が、独自の発展をとげる機械が多いん。
 また、小さいものほど環境の変化に弱いので、たまたまうまく適応したものを残して、あとは淘汰されてしまうという可能性も高い。
 こう考えると、小さなものが新しい系統の祖先になりやすいことが理解できる。

 大きいものは、ちょっとした環境の変化はものともせずに、長生きである。
 これは優れた性質ではあるが、この安定性がアダとなり、新しいものを生み出しにくくなる。
 大きいと個体数が少ないし、一世代の時間も長いから、ひとたび克服できないような大きな環境の変化に出会うと、新しい変異種を生み出すこともできずに絶滅してしまう。
 一方、小さなものは、どんどん食べられ、ばたばた死んでいくが、つぎつぎと変異を生み出し、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」という流儀で後継者を残していく。
 地球の環境というものは、まったく変化がないわけでもなく、かといって天変地異の連続ばかりというわけでもなかった。
 現在、この地球上には、大きいものも小さいものも両方生きている。
 このことは、どちらもそれなりの生き方でやっていけるということを意味しているに違いない。

 古生物学に関する「法則」をもう一つ。
 島に住んでいる動物と大陸に住んでいる動物とでは、サイズに違いが見られる。
 典型的なものはゾウで、島に隔離されたゾウは、世代を重ねるうちに、どんどん小型化していく。
 ネズミやウサギなどのサイズの小さいものは、これとは逆に、島では大きくなっていく。
 島に隔離されると、サイズの大きい動物は小さくなり、サイズの小さい動物は大きくなる。
 これが古生物学で「島の規則」と呼ばれているものだ。

 島では、なぜこのようなサイズの変化が起こるのであろうか。
 一つは「捕食者」の問題だとおもわれる。
 島というのは環境は、捕食者の少ない環境である。
 大雑把な言い方をすれば、一匹の肉食獣にはそのエサとして100匹近くの草食獣がいないと養えない。
 ところが島は狭いから、草の量が限られ、10匹の草食獣しか養えないとすると、肉食獣は餌不足になり生きていけない。
 が、草食獣は生きていけるという状況が出現する。
 つまり、島には捕食者がいなくなってしまうことになる。
 こうした環境したでは、ゾウは小さくなり、ネズミは大きくなる。
 ゾウはなぜ大きいのだろう。
 それはたぶん捕食者に食われにくいからだろう。
 ネズミはなぜに小さいのだろう。それも捕食者のせいでだろう。
 小さくて物陰に隠れることができれば、捕食者の芽を逃れられる。

 島国という環境では、「エリートのサイズ」は小さくなり、ずばぬけた巨人と呼び得る人物は出てきにくい。
 逆に小さい方、つまり「庶民のスケール」は大きくなり、「知的レベル」はきわめて高くなる。
 「島の規則」は人間にもあてはまりそうだ。
 大陸に住んでいれば、とてつもないことを考えたり、常識外れのことをやることも\可能だろう。
 まわりから白い目で見られたら、さっさと他所に逃げていけばいい。
 島ではそうはいかない。
 出る釘は、ほんのちょっと出ても、打たれてしまう。
 だから大陸ではとんでもない思想が生まれ、また、それらに負けない強靭な大思想が育ってbいく。
 獰猛な捕食者に比せられるさまざまな思想と戦い、鍛え抜かれた大思想を大陸の人々は産み出してきたのである。
 これは偉大なこととして畏敬したい。

 が、しかし、これらの大思想はゾウのようなものではないか?
 これらの思想は、人間が取り組んで「幸福に感じる」思考の範囲をはるかに越えて、巨大サイズになってはいないか。
 動物に無理のないサイズがあるように、思想にも人類に「似合いのサイズ」があるのではないか?
 もちろん、こういう連想は、論理的なつながりのあるものではない。
 しかし、生物学というものは、人間が何か考える際に、それなりの手がかりを与えてくれるものだと私は思っている。

 日本という島国と、アメリカという大陸国、これらの違いを考えるうえで、生物学や古生物学も参考になるのではないか。
 島の規則がそのまま人間にあてはまるどうかはさておく。
 いまや、地球はだんだん狭くなり、一つの島と考えねばならぬ状況に立ち至っている。
 いままでは「大陸の時代」だった。
 これからは好むと好まざるとにかかわらず「島の時代」になる。
 日本人は島に住んでいるのだから、自己のアイデンテイテイーを確立するためにも、
 「島とはなにか」
を、まじめに考えるべきであろう。
 これまで日本人がつちかってきた「島での生活の知恵」が、これからの人類にとって、貴重な財産になっていくべきだと、私は思っている。











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★ ぞうの時間 ネズミの時間: 「1/4乗則」:本川達雄


● 1993/09[1992/08]



 体のサイズと時間との間に、ないか関係があるのではないかと、古来、いろいろな人が調べてきた。
 例えば、心臓がドキンドキンと打つ時間間隔を、ネズミで、ネコで、イヌで、ウマで、ゾウで測りして、おのおのの動物の体重と時間との関係を求めてみた。
 サイズを体重を表すのは、体重ならハカリにのせればすぐできるが、体長でサイズを表すと、シッポはどうしたらいいかとか、難しい問題が出てきてしまうためである。
 いろいろな哺乳類で体重と時間との関係を測ってみると、こんな関係が浮かび上がってきた。

 時間 ∝ (体重)**1/4

 つまり、「時間は体重の1/4乗に比例する」のである。

 体重が増えると時間は長くなる。
 ただし、1/4乗というのは平方根の平方根だから、体重が16倍になると時間は2倍になるという計算になる。
 体重の増え方に比べ、時間の長くなり方はずっとゆるやかである。
 大きな動物ほど、何をするにも時間がかかることになる。
 時間の流れる速度が違ってくるらしい。
 ということは、動物が違うと、時間の流れる速度もまた違ってくるものらしい。
 例えば、体重が10倍になると、時間は1.8倍になる。
 これは動物にとって無視できない問題である。

 この1/4乗則は、時間がかかわっているいろいろな現象に広くあてはまる。
 動物の寿命をはじめとして、おとなのサイズに成長するまでの時間、性的に成熟するのに要する時間、赤ん坊が母親の胎内に留まっている時間など、すべてこの1/4乗則にしたがう。
 日常の活動の時間も、やはり体重の1/4乗に比例する。
 息をする時間間隔、心臓が打つ感覚、腸が一回じわっとと先導する時間、血が体内を一巡する時間、体外から入った異物をふたたび体外へと除去するのに要する時間、タンパク質が合成されて壊されるまでの時間、などなど。

 私たちは、ふつう、時計を使って時間を測る。
 時は万物を平等に、非情に駆り立てていくと、私たちは考えている。
 ところが、どうもそうではないらしい。
 ゾウにはゾウの時間が、イヌにはイヌの時間が、ネ4ズミにはネズミの時間と、それぞれの体のサイズに応じて、違う時間の単位があるということを、生物学は教えてくれる。
 これを「生理的時間」と呼ぶ。

 寿命を心臓の鼓動時間で割ってみよう。
 すると、哺乳類ではどの動物も、一生の間に心臓は「20億回」打つという計算になる。
 寿命を呼吸する時間で割れば、一生の間に「約5億回」、息をスーハーと繰り返すと計算できる。
 これは哺乳類なら、体のサイズによらず、ほぼ同じ値となる。
 
 物理的時間で測れば、ゾウはネズミより、ずっと長生きである。
 ネズミは数年であるが、ゾウは100年近い寿命をもつ。
 しかし、心臓の拍動を時計として考えるならば、ゾウもネズミもまったく同じ長さを生きて死ぬことになる。
 小さい動物では、体内で起こるよろずの現象のテンポが速いのだから、物理的寿命が短いといったって、一生を生き切った感覚は、存外、ゾウもネズミも同じではないのだろうか。

 時間とは、最も基本的な概念である。
 人は自分の時計は何にでもあてはまると、何気なく信じ込んで暮らしている。
 そういう常識を覆してくれるのが「サイズの生物学」である。
 動物のサイズが、その動物の生き方に、以下に大きな影響を与えているか見ていこう。
 人間の考え方や行動も、ヒトという生物のサイズを抜きにしては理解できないものである。
 「おのれのサイズを知る」ということは、人間にとっても基本的なものである。
 「サイズ」という視点を通して、生物を、そして人間を理解しようとというのが、本書のねらいである。





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2010年8月8日日曜日

★ 脳がよみがえる断食力:朝と病気には食べるな:山田豊文


● 2009/06[2009/01]



 体内で働く酵素を大別すると2つある。

①.消化酵素
②.代謝酵素

 「消化酵素」は食べ物を分解する働きをするもので、一連の消化・吸収のすべてのプロセスに関わっている。
 「代謝酵素」は臓器や組織の細胞内で、栄養素の作り替えや臓器の修復などにたずさわっている。
 人の体では3千種類以上の代謝がおこなわれているが、どれも酵素がなければ成立しない。
 消化酵素も代謝酵素も、体内で生産されるが、無尽蔵に作られるわけではない。
 あらかじめ遺伝子に組み込まれた生産量というものがあるらしい、という説が有力である。

 酵素の一番の働きどころはどこかといえば、「消化」である。
 消化の際に、酵素はふんだんに必要とされる。
 消化作業が過酷になればなるほど、消化酵素、そして消化酵素をつくりだすためのエネルギーが消費される。
 その結果として、一方の代謝酵素はパワーダウンを余儀なくされる。
 臓器や組織、細胞の修復にかわる代謝酵素が十分働けなくなれば、それらに不具合が起きるのは必然である。

 自然界の生き物は本能的にこのことを知っている。
 例えば、ケガをした動物たちは、一切のエサを口にせず、静かにじっと回復の時を待つ。
 人は病気になると「栄養のあるものを食べろ」というが、これは明らかに間違っている。
 病気のためにただでさえエネルギー生産力は低下している。
 そこで食べ物を食べたら、回復どころか、体はさらなるダメージを受けてしまう。
 消化という作業は莫大なエネルギーを要するのである。
 動物たちは「食べない」ことで生命力を高め、それがケガを克服する最良の方法だということを知っている。
 本能のなかに「断食力」の何たるかが、刷り込まれているのである。

 「病気になったら食べてはいけない」、
のである
 
 消化とは最大のエネルギー消費作業であると同時に、生物にとって「もっとも大きなストレスをかける」ものなのである。
 代謝酵素のパワーを高めるには、消化作業を休み、あるいは軽減する必要がある。
 消化に「完全休養」を与える断食が最良策であるが、「食べすぎない」ということもかなりの有効策といっていい。

 このことからも、
 「朝食は食べてはいけない」
 食事の原則が、
 「一日三食、しっかり食べること
だと信じて疑わない人は多い。
 「朝ごはんをしっかり食べなさい」
と言われた経験のない人は、まずいないだろう。
 さて、これは正しいのか
 先に答えをあきらかにしまえば「ノー」なのだ
 朝食は食べてはいけない。
 なぜかといえば、消化は多大のエネルギーを必要とするのに、朝方はまだ内臓がよく動いていない。
 朝は、内蔵を休ませるべき時間なのである
 江戸時代には朝食は食べなかったし、中国では極めて消化のよい粥しか朝食にはならなかったのである。

 牛乳は飲まないほうがいい
 いくら牛乳を飲んだところで、骨のカルシュウムを充実するということはない。
 乳糖を分解する酵素はラクターゼと呼ばれるものだが、日本人は生後一年ほどで離乳が進むと、しだいにラクターゼの働きが弱くなり、成人ではほとんど分泌されなくなる。
 成人になってもラクターゼを持っているのは北欧系の人に限られる。
 よっていくら牛乳を飲んでも、カルシウムは吸収されず、無駄に排泄されるだけである。
 逆に、牛乳というものは骨を強くするどころか、脆くしてしまう危険をはらんでいる。
 タンパク質を多く含む牛乳は、体内で「酸」を生じやすい。
 ガブガブ牛乳を飲むと、体が「酸性」に傾き、「脱灰」という現象が起こるリスクを高める。
 骨や歯のカルシュウムが血液中に溶け出しやすくなる。
 骨が脆くなっていくのである。
 2年間毎日牛乳を2杯飲み続けた女性と、まったく摂取しなかった女性を比較した、極めて興味深いデータも発表されている。
 これによると、牛乳を飲んだ女性は、飲まなかった女性の2倍のスピードで「骨量」が減っているという。
 牛乳は、骨を強化するどころか、反対に脆くするのである。

 断食したとき、体の中では何が起こっているのだろうか。
 食べ物からエネルギーを摂取できなくなると、体内の栄養素からエネルギーをつくり出す作業が開始される。
 まず、その材料として使われるのが、肝臓や筋肉に蓄えられたグリコーゲン。
 これはすぐにブドウ糖に変えられる。
 その次に、グリコーゲンがなくなると、やはり肝臓に一定量プールされていたアミノ酸からブドウ糖をつくる。
 このアミノ酸が尽きると、いよいよ「自己犠牲」がはじまる
 その最初の標的になるのが、筋肉。
 筋肉を分解してアミノ酸の形に変え、肝臓に送り込む。
 肝臓はそのアミノ酸を原料にブドウ糖をつくり、血中に供給して、最低限の血糖値を維持しようとする。
 次に使われるのが脂肪組織だ。
 脂肪はグリセロールと脂肪酸が組み合わさってできている。
 このうちのグリセロールが肝臓でブドウ糖に作り変えられ、エネルギーとして燃やされる。
 こうしたアミノ酸やグリセロールをブドウ糖に変えるシステムを「糖新生」と呼ばれる。
 
 一方の脂肪酸は、糖新生には使われない。
 肝臓に贈られた脂肪酸は「ケトン体」というものに作り変えられ、最終的にはやはりエネルギーとして利用される。
 このようにして、人の体はさまざまな物質(栄養素)が動員されてエネルギーになることで、食を断っても何日かは生きることが可能になっている。





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: 円周率の計算[π]

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● 2009/06



■ アルキメデス
 半径rの円の面積はπr**2で与えられる。
 πはいわゆる「円周率」である。
 アルキメデスは当時としてはとびきり精密な近似を求めた。

 これをもとめる上でのアルキメデスの方法は、以下のように要約される。
 問題は直径が「1」の円の、円周の長さをもとめることであるが、それが難しい理由は、円周という曲線が曲がっているためである。
 そこで、円を正多角形で近似するというアイデアが生まれる。
 正多角形に一辺は直線なので、その長さは求め易い。
 もっともこれは近似でしかないから、この方法では円周の真の長さをもとめることはできない。
 しかし、正多角形の辺の数をどんどんふやしていけば、近似値は真の値に近づいいていくことになる。
 これこそが、アルキメデスがすでに使っていた「極限」という考え方である。
 アルキメデスは正6角形出発し、正12角形、正24角形と増やしていった。
 アルキメデスの「π」の評価は、正96角形の計算から得られたものだといわれている。


 ■ 超越数
 現在では円周率は
 「π=3.14159265358979…」
 と書けるが、その近似をどこまで正しく求められるかが問題である。
 この近似の正確さへの果てしないレースは、現在でも続いている。
 このような数について、一体どのようなことがわかれば、我々はその数を「わかった」といえるのであろうか。
 これは不明瞭である。
 むしろ、基本的には「決してわからない」ということを理解することのほうが重要なのかもしれない。
 19世紀後半に、リンデマンによって、「πは超越数である」と証明された。
 超越数とは、有理数を使って立てられるような、いかなる代数方程式の解にもならないということ、つまり代数的手順ではどのようにしても有理数から円周率を作ることはできない、ということを意味している。


 ■ 中国
 アルキメデスの500年後に中国の劉徵は下記の結果を得ている。
 ここで彼は円に内接する正96角形と192角形の周の長さを用いている。


 祖沖之(429-500)は劉徵の計算をさらに発展させ、下記の近似を得ている。
 「3.1415926 <π<3.1425925」


■ 和算
 一般に「和算」とは、江戸時代の17世紀半ば頃から、中国の影響を脱して、徐々に独自なものに成長していくに応じて用いられるようになった。
 その突出した数学者が関孝和である
 関の業績は多岐にわたり、しかも深いものである。
 その多くは死後に、弟子たちによって『括用算法』にまとめられている。
 関が行列式の発見者であったといわれている’背景には、関が多変数高次連立方程式の解法について極めて格調高い見識をもっていたことがあげられる。
 この点に関しては、関は世界中のいかなる同時代人も寄せ付けない、真に飛び抜けた存在であった。
 関は、今日「ベルヌーイ数」と呼ばれている数を独自に発見して計算している。
 関は、円という図形の数学的神秘に迫ろうとして、円の弧長を厳密に表す公式を得るために大変な努力を傾けた。
 ここから、いわゆる「円理」という日本独特の無限小解析の伝統が始まった。

 その初期の発展の中で、建部賢弘の仕事が際立っている。
 関孝和の手法を発展させて、建部賢弘は1722年刊行の『綴術算経(ていじゅつさんけい)』の中で、円周率を41桁まで求めている。
 これは内接多角形の周長の段差を等比級数で近似するという、高度な数値解析的手法によっている。



 さらに松永良弼によって下記の公式を与えられることになる

 この式を用いると、円周率は小数点以下49桁まで正しくもとめることができる







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: 積み算 10進表記

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● 2009/06



 ■ 割り算
 割り算は足し算、引き算、掛け算にくらべて格段に難しい。
 難しさだけでなく、もっと異質な違いがある。
 例えば16を7で割るとするとどうなるか。
①.16÷7=2 余り2
②.16÷7=2.2857142857…
③.16/7
 要するに割り算は、それが考えられている文脈の影響を受ける。
 古代人の計算が今に伝えられている中で、割り算には格段に人間の精神活動の息吹が感じられる。
 そして、実際そこから、より深い数学が生まれている。
 割り算こそが「数学の芽」なのである。
 例えば古代エジプト人は、大変不思議な計算を残している。
 「2/13=1/13+1/13」であるが、エジプト人は、
 「2/13=1/8+1/52+1/104」
と、計算している。
 要するに分数を、1/8や1/52のように分子が「1」であるようなもの、すなわち「単位分数」の足し算に分解している。
 おそらくこれはナイル氾濫後の川岸の区画整理を行うための測量技術が発達したことによるものだといわれている。
 パルペドナプタイ(縄張り師)と呼ばれ人々は、縄を巧みに使って長さや面積を測量する術に成熟していたらしい。


 ■ 開平の計算
 『九章算術』の方法で平方根の近似値をもとめる歩法を紹介しよう。
 例えば「10」の平方根を考える。

● 最初に近似値aとして3をとる: a=3
● aの2乗を10から引く: 10-3**2=1
● その結果を2aで割り、bとする: b=1/(2*3)=1/6
● 同じ数を今度は「2a+b」で割り、cとおく: c=1/(6+1/6)=6/37

 こうして得られたcを使って、a+c=3+6/37を考えると、これは最初にはじめた3よりも、10の平方根のより近似になっているというのである。
 実際、「3+6/37=3.162162162…」であり、これは10の平方根として非常によい近似になっている。
 さらにこれをaとして、もう一度繰り返せばさらによい近似を得ることができる。
 現代的な式で書くと<図>という近似式に基づいたものである。

 

 ■ 積み算
 われわれが普段行っている、縦型の計算方法、いわゆる「積み算」という方法は、実によくできている。
 例えば、8691+727だったら、

と、計算する。
 このような計算は、ひじょうに優れている。
●.機械的であること。
  方法を一度憶えてしまえば、余計な考察をする必要がなく「手さばき」で計算できる。
●.シンプルであり、習得が安易である。
●.一般的であること。
 どんな数であっても、どんな桁数であっても、一律に計算できる。

 このような、図式計算が可能となるためには、数を「10進数位取り表記」ができていなければならない。
 それがいつ頃、どこで、どのようにして発明されたかは、あまりはっきりしたことはわかっていない。
 遅くとも8世紀までにはビンドウー文化圏において成立していることはわかっている。
 これは、そのあたりの人々の純粋な発明ではなく、中東やおそらくエジプトを含めた地域で、次第に形成されていったアイデアが、シルクロードの交流路を通じて広まったものであろうと思われる。
 一度、それが発明されると、この便利な表記法は次第にイスラム圏にも浸透していった。
 10世紀のアラビア語の算術書には、現在のものとほぼ変わりない、積み算による計算方法が明確に記されている。








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★ 物語 数学の歴史:はじめに:加藤文元

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● 2009/06



 数学の歴史の大きな流れを、文化史・文明史的な視点から、できるだけ整合性のあるまとまりとして一望したい、というのが本書において筆者が目指したことである。

 日本人が数学の歴史を眺めるときに、特に興味深い流れが2つある。
一つは古代ギリシャ世界から始まり、中世アラビア世界を経由して、その後ヨーロッパ世界に流入した、いわゆる「西洋数学」の流れである。
もう一つは古代中国に起源を発し、近世以降に日本に和算という独特の数学の伝統をもたらした、いわゆる「東洋数学」の流れである。

 いわゆる西洋数学のルーツは、主にエジプト文明とメソポタミア文明にあると思われるが、中世アラビアにおいてはインドや中国の影響も受けている。
 西洋数学は、言わば、多くの数学の伝統が融合したブレンド数学なのである。
 そのブレンドに要した時間は、アラビア期だけでも700年もの長きにわたるわけで、その後年への影響は、当然ながら極めて重大なものがある。
 一方の東洋数学は、これに対して、中国文明が古代より現代に到るまで、完全な崩壊を経験することなく連続性を保ち続けた唯一の文明であることを反映してか、良くも悪くも直線的な発展を遂げてきたようだ。

 そもそも人間が「数学する」ことにおいて、最も重要な行為は「計算する」ことと「見る」ことである。
 「計算する」ことは、例えば数の計算や記号の演算などを通して問題に答えを与えたり、論証したりすることであり、形式的で機械的な作業の意味合いが強い。
 他方、「見る」ことは、線分の長さや図形の面積、角度といった外延的な量について、問題をと至り論証したりすることであり、より直感的な行いである。
 要するに、数学には形式的な式の計算もあれば、直感的な図形の取り扱いもある、という二面性があるわけだ。
 この二面性はその表彰において、算術か幾何か、離散か連続か、アルゴリズムか外延か、といった数々の二分法を、その歴史の折々にもたらしている。
 この二つの側面を一つに統合することが西洋数学の悠久の目標であり、あおの苦悩の原点であるように見える。
 そして、西洋数学精神固有の苦悩を経て、西洋数学は「集合論」の中にその統合の望みを託す。
 しかし、それはまたしても体系の危機を引き起こず不協和音を抱えていた。











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2010年8月2日月曜日

: 近代性への抵抗

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● 2009/07



 「停滞」という言葉と概念は、もともと邦のものではない。
 西洋さんのものだ。
 キリスト教的世界観から発しているのか、大航海時代の理念がまだ消え去っていないのか、イギリスの産業革命から発しているのか、そのあたりはよくわからないが、でもとにかく、
「どこまでもはってんしていくばかりである、終わりはない」
というのは、西つ方の考えである。
 おそらく、「最後は神の審判があるばかり」と勝手な考えに支えられているのだろう。
 完全に誇大妄想である。
 こういう異様な考えは、あとから参加したほうが急進化する。
 それがアメリカだ。
 アメリカはヨーロッパよりヨーロッパらしくなろうと無理をして、ヨーロッパを越えて、理念の国になっている。
 「理念の国」というと聞こえはいいが、ようするに頭でっかち、現場では使えねえ連中のことを美的に言ったまでのことである。

 東洋世界では、冬が来て春がきて、夏が来る。
 まわっている。
 人もまわっている。
 生きているが、やがて死ぬ。
 また生きる。
 そして死ぬ。
 ぐるぐるとまわる。
 上に向かっていない。
 この世が終わって、最後に神の審判などがくだされるなんてことはない。
 社会がどんどん豊かになり続け、天上に向かうという概念が持ちにくい。
 物成りがいいエリアでは、世界に斬り込んで積極的に世界を帰る必要がない。

 停滞ではない。
 成長がなければ停滞はない。
 冬を停滞だと考えるのは不自然である。
 夏がどこまでも成長していく時期であり、そのまま成長してゆけばいいのにと考えたところで、冬はやってくる。
 成長と停滞を繰り返しているのではない。
 ただ、夏と冬があるだけである。
 植物が成長する時期があると思えば、やがて活動を停止する時期がやってくる。
 待っていれば終わる。
 ぐるぐるまわっているだけである。
 だから停滞という概念はない。

 落語は、そういう近代西洋的発展の世界とは別に存在している。
 ちなみに、日本は、そういう近代的発展世界とは、最終的に同一化すまい、という気持ちを底に持ち続けているとおもう。
 東京の真ん中に皇居を抱え、1500年以上続く王家を国の中心に抱えているのは、その明確な現れであろう。
 落語は近代的発展とは別の世界に存在している。

 日本は西洋が強制した近代的発展が、好きではない。
 ペルリが突然、浦賀の沖にやってきて、力ずくで近代を始めさせた、と思い込んでいる。
 だから「近代的方法はオレたちの方法ではない」と、心の底で思っている。
 細かに分解して、全体像をとらえられなくなっても、核と法則を見つけだそうとするのが近代的思考である。
 芯をみつけないと凍え死んでしまいそうな連中の、懸命なもがきである。
 うちらは、物事を芯まで剥かなくても生きていける、ということである。

 安政年間ごろから始まった、
「西洋がおしつけてきた近代という原理」
に対して、落語は黙って抵抗し続けている。
 落語が残っていることじたいが、その原理への抵抗である。
 西洋原理は、本来、人として生きていくのに関係ないものだ、少なくともオレたちにはあまり関係ない、という主張を続けているのである。
 近代化が進み、日本家屋がなくなり、日本古来の衣装はイベントでしか着なくなり、西洋の国々と一見差異のないような生活をするようになっても、なを、日本人であることは何か、とフワッと考える人が増えると、そこに落語が用意されているのだ。
 それは、
「すべてのモノを細かくした上で、原理を突き止め、突き止めれば反転して大きく広げ、普遍性を獲得したい」
という近代の異常な欲求を疑問に感じている、ということでもある。
 人類全体へと広がる「普遍性への拒否」である。

 近代が主張する普遍性を、落語はきちんと拒否している。
 それは軍艦に対して江戸っ子の意気地を見せてやろうというレベルの、馬鹿馬鹿しい反抗でしかない。
 さほど意味はない。
 実効性も薄い。
 だが、個人の心持ちとしては大きく力を発する。
 「広がらなくてもいいだろう」、という主張である。
 インターネットで世界につながり、飛行機で世界中に行かれ、いつでも携帯でどことでも連絡がとれようとも、「人間一人の大きさは変わらない」。
 「起きて半畳、寝て一畳」、その広さがあれば、十分生きていける。
 人の体には限りがあり、できることだって限りがある。
 「無意味に広げるな」ということだ。

 「広げるな」、という考えは、近代からは教えてもらえない。
 近代の力は、日常生活とは関わりのない素晴らしい天上レベルで、その誇大妄想力を発揮していって、オレやハチ公の知らないうちに、何か変わっていくばかりである。
 それを思い煩ってもいても、これも何もかわらない。
 まずは、地べたにちかいところで生きていけ。
 それが落語である。









 【習文:目次】 



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