2010年12月24日金曜日

: 外食はやはり危険だ

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● 2007/09



 わたしは、食堂では必要以上に口をきかないようにしている。
 ときどき「大盛りで」を言い忘れることもあるほどだ。
 店の人と口をきいて人間関係ができると落ち着けなくなる。
 自分の家でも、釈明する以外、口をきかないようにしているのもこのためだ。
 だが、口をきかなくても、同じ店になんども行っていると、顔なじみになってしまう。
 毎回違うところでたべれば問題ないが、食堂もわたしの家も無数にあるわけではない。

 以前、毎日のように近所の小さな喫茶店でランチを食べていた。
 その店のランチが、味も代金も美人ウエイトレスもわたしの好みだったのだ。
 ウエイトレスとは親しく口をききたいと思っていたが、きいたことはなかった。
 ある日、妻と一緒にそこへ行った。
 そのウエイトレスが「今日はお二人なんですね」と口を聞いた。
 その言葉に、わたしは凍りついた。
 妻は何も言わなかったが、妻の沈黙より衝撃的なことばといえば、
 「さっき召し上がったハンバーグにヒ素が入っていました」
ぐらいだ。
 テレビドラマなら、至極面白い場面だが、わたしの横にいるのは本物の妻だ。
 そして不運なことにわたしは彼女の夫だ。
 さらに不運なことは、妻は気性が荒い。
 これまでわたしが五体満足で生きてこられたのが不思議なほどなのだ。
 もし妻が穏やかな性格で、その上、他の男の妻で、別の星に住んでいたら、おもしろがっていられただろう。

 最も不運だったのは、妻が昼食は家で食べるのかと聞くたびに、わたしは
 「腹が減っていないから昼食はいらない」
と言って家を出て、5分後には、この店で毎日ランチを食べていたことだ。
 ウエイトレスに罪はない。
 この感じのいいウエイトレスに落ち度があるはずがない。
 問題は妻だ。
 そっとうかがうと、妻はよろこんでいる様子はなかった。
 たぶん妻は、わたしが毎日一人で店のランチを食べていたと考えているだろう。
 
 数秒後、凍りついた空気から無理やり立ち直ったわたしは、妻に
 「いやあ、家を出るときは腹は減っていないのに、この店の前にくると急に腹が減るんだ、ふしぎだよね、空腹になるのはアッという間だね」
と明るく説明したが、妻は沈黙を通し、気まずい空気は消えなかった。
 食べ終わると、幸運にも急な用事を思い出し、丁寧に別れを告げたが、妻はきっと腹いせに、----(夜のカレーライスに***を入れるかもしれない)----。 
 それだけで気がおさまってくれるのを祈った。
 行きつけの店ができるとこういう結果を招くことになるのだ。
 この出来事を経験したのち、わたしは決心した。
 今後、妻とは食事に行かないようにしよう。







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2010年12月22日水曜日

: 何気ない一言

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● 2007/09



 妻の何気ない一言も大きな重みをもっている。
 ふつう、夢中でテレビを見ている哲学者に声をかけるのは、はばかれるものである。
 だが、妻ははばかる様子もなく、わたしがテレビを見ている最中に「ジャムの瓶のフタどこやった?」などと言う。
 テレビに注意を向けたままだと「聞く気がないのね」と言う。
 そこまで分かっているなら、なぜ聞くのか。
 こうなると、売り言葉に買い言葉だ。
 わたしが「聞いているよ、本当だよ」と突っぱねる。
 と、妻が「じゃ、答えてみなさいよ」と挑戦し、フタなど知らないので答えられないため激論となり(「激論」と言う理由は妻の発現が激烈だからだ)、テレビどころではなくなる。
 だから、テレビを見続けようとするなら、どんなにテレビに釘付けになっていても、妻の言葉に注意を怠ってはならない。

 悪いことに、妻はここぞというときに限って話しかけてくる。
 テレビでモスクワの天気予報をしているとき、ふだんモスクワの天気予報にも興味をもたないわたしが興味をもったとたんに、「新聞どこへやったの?」と言う。
 タイミングを見計らってテレビ鑑賞を妨害しているとしか思えない。
 先日、わたしが格闘技の試合を見ていると、妻が「あっ!」と言った。
 「あっ」という言葉は、驚くべきことが起きたことを伝える表現だ。
 もしかして家が燃えているといった重大事とか、妻の歯が折れたといったどうでもいいことかもしれない。
 間違っても「お疲れさま」とか「茶摘みの季節になりました」という言葉が続くとは考えられない。
 「あっ」を無視するとどんな結果が待っているか分かったものでない。
 だが、テレビでは試合がちょうど倒すか倒されるかの、目が離せない場面だ。
 決断を迫られたわたしは、自分の欲求を優先させることを抑え、やむえずテレビから目をそらした。
 そうしないと、果てしない激論を招き、試合全部を見逃すことになる。
 何日も前から楽しみにしていた試合だ。
 絶対に逃せない。

 目を妻に向けると、まんじゅうをほおばっていた。
 そしてこう言った。
 「クルミが入っている!」
 わたしは怒った。
 クルミまんじゅうの中にクルミが入っていたからといって「あっ」と言うな。
 本人は何気なく言ったつもりかもしれないが、わたしには原発爆発警報に等しい重みをもっているのだ。
 突然テレビから歓声が上がり、画面では目を離したすきにノックアウトで決着がついていた。
 貴重な一瞬を見逃してしまったのだ。
 「<あっ>と言うなら、食べられないものが入っていたときにしろ」
と叱ると、妻は
 「じゃあゴキブリが入っていたら<あっ>と言ってもよかったの?」
と反抗的態度で言う。
 その後、格闘技を上回る激しい闘いに発展した。
 が、他人にはわたしが一方的に叱られているように見えたかもしれない。








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: あなたも家なき子だ


● 2007/09



 妻とは長年付き合っているが、驚きは尽きない。
 妻と長年付き合ったということが驚きだ。

 ある休日の午後、柔らかい日差しの我が家の居間で、のんびりテレビを見ながら哲学的試作にふけっていた。
 と、妻が険しい顔をして言った。
 「いつ帰るの?」
 自然な言い方だったので、一瞬、帰ろうとしたほどだ。
 「もしかして、ここはオレの家じゃないのか」
 「----あ、ほんとだ」
 驚きだった。
 妻の無意識の中では、この家は妻の家であって、わたしの家ではないのだ。
 わたしを誰だと思っているのだろうか?。
 わたしがこの家の客人だと思ったら大間違いだ。
 その証拠に、お茶一杯出てこないではないか。

 胸に手を当てると、思い当たるフシもある。
 第一、家を出るとなぜかホッとする。
 「家とはやすらぎの場所だ」
という定義によれば、確かにわたしの家はこの家の外にある。
 わたしは公式には世帯主だが、「公式」とは「実態と違う」という意味だ。
 このことからすると、実際のこの家の世帯主はわたしではない。
 たぶんおそらくきっと、妻が「早く帰れ」と言ったのは、何かの間違いだろうと思う。
 だがフロイトも言ったように、言い間違いは、本音を無意識的に正しく表現しているのだ。
 妻の心のなかでは、わたしは世帯主どころか、同居人ですらないのだ。
 
 考えれば、身を粉にして働いてローンを払い終わり、やっと自分の家になったと思ったら、いつの間にか家は妻の手に渡り、「家なき子」になっていたのだ。
 その後、調査したところでは、ほとんど中年女は、夫を、 
 「立ち退こうとしない借家人」
だと思っていることが判明した。
 それでも家賃を入れている間はまだいい。
 定年になって家賃を入れられなくなると、強制執行をかけて離婚に及ぶのだ。
 だから、男が家を失いたいと思ったら、その一番の近道は結婚することだ。
 わざわざ家を抵当にして返済できないほど借金する必要はない。
 結婚すれば家だけでなく、金も自由も幸福もプライドもきれいさっぱり失うことができるのだ。
 
 自分は違うと考えている男性も多いとは思うが、次のテストをやってもらいたい。
 該当する項目が2つ異常あれば、「あなたは家なき子だ」。

☆ 家で休んでいるときに限って、妻が掃除機をかける。
☆ 休日にテレビを見ていると、妻が突然消す。
☆ 思い当たることがないのに、妻が聞こえるように舌打ちをすることがある。
☆ 妻が2メートル以上近寄ろうとしない。
☆ ハゲてきた。
☆ ハゲてきたのに、妻が気づかない。
☆ 結婚して20年以上たつ。
☆ 「ここをだれの家だと思ってるの」と言われたことがある。
☆ 毎日「出て行ってちょうだい」と言われている。
☆ 以上の一つしか該当しない。

 格言も変える必要がある。
 昔は「女三界に家なし」と言われたものだが、今や前向きに「男は荒野を目指せ」または、
 「男は荒野を目指すしかない」
とすべきである。
 また、
 「家は遠くにありて、思うもの」
を加えるべきだ。







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★ 妻と罰:あきらめる方法:土屋賢二

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● 2007/09



 打つ手のない状況に陥ったとき、打つ手は2つ残っている。
 ひとつはあきらめること、
 もうひとつはあきらめないこと、だ。

 今では、やたら「あきらめるな!」と叫ばれることが多いが、古来、日本人は「いさぎよし」として、あきらめの中に美学を感じとり、あきらめようとしない人間を「あきらめの悪いヤツ」として軽蔑していた(と聞いた)。
 わたし自身、これまで「あきらめの境地」を目指し、多くをあきらめてきた。
 大ピアニストになる、
 詩人になる、
 日記をつける、
 妻の性格を変える、
 豪邸に住む、
など、あきらめたことは数えきれない。

 しかし残念ながら、あきらめ切れないことも多い。
 大富豪になる、
 天使のような女と出会う、
 一人静かに暮らす、
など、あきらめ切れないでいる。
 あまりにもあきらめが悪いので、今ではあきらめの境地に到達することをあきらめている。

 「あきらめる方法」はいくつかあるが、そのうちの一つは「どうせの方法」である。
 われわれはよく、「どうせ---だから」という論法を使ってあきらめている。
 「物事とは最終的にはロクなことにならない、だからあがいたりするのは無意味だ」
という論法だ。
 これにもいろいろな用法がある。
 たとえば、
 「どうせダイエットしても挫折するんだから、食べてしまおう」
 「どうせ合格できないんだから、勉強しても無駄だ」
 「どうせだれもかまってくれないんだから、不良になってやる」 
と、自信をもってあきらめている。
 だが、そこまであきらめがついているなら、そもそもダイエットなどの目標を立てることをあきらめればよさそうなものだ。
 その点、いまいち説得力に欠ける。

 説得力があるのはたとえば、余命一年と宣告された人が、
 「どうせ1年しか生きられないんだ、だから金を貯めても無駄だ」
と思って、いつもの並寿司を上寿司に変えるような場合である。
 ただし、これを拡張して、
 「どうせあと50年も生きられないんだ、節約するのは無意味だ」
と考えて豪遊すると取り返しのつかない結果になるおそれがある。
 また、仮定法を使って、
 「どうせ明日交通事故で死ぬかもしれないんだから、今日のうちにお金を使いきってしまおう」
と考えるのも危ない。

 この「どうせの方法」が不幸を招くこともある。
 まわりの中年夫婦を観察すれば、
 「結婚してもどうせこの夫婦のように悲惨な結果になるだけだ」
と、悟るはずである。
 にもかかわらず愚かにも、
 「どうせ悲惨な結果に終わるなら、いまだけでも幸せになろう」
と考えて結婚し、数十年後、「どうせおれは一生不遇だ」と無理にあきらめをつけつつ老後を過ごす者が後を絶たないのだ。
 人はもっと上手に「あきらめる技術」を身につけるべきだ。

 今、妻が、
 「いい加減、そこにある本を片付けてよ!」
と叫んだ。
 つい先日、
 「どうせいくら言っても片付けないんだから」
と言ったばかりではないか。
 あきらめの悪い女だ。




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2010年12月18日土曜日

2010年12月16日木曜日

: 老化とヘイフリック限界

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● 2007/08



 ハッチンソン-ギルフォード早老症候群という病気がある。
 いわゆるプロゲリアだ。
 プロゲリアは、生まれてくる子どもの400万人~800万人に一人というまれな病気だ。
 その名のとおり早く老けてしまうので、この病気をもっている子どもの運命は残酷だ。
 他の子どもの100倍ものスピードで老化が進む。
 プロゲリアの赤ん坊は一歳半になるころには、皮膚にシワが出て、髪の毛が抜ける。
 やがて動脈硬化などの循環器系の問題や、関節炎などの変性疾患もはじまる。
 患者の大半は、10代のうちに心臓発作や脳卒中で世を去る。
 この病気で30歳まで生き延びたという記録はない。

 2003年、プロゲリアを引き起こす変異遺伝子を特定したという発表があった。
 変異が起きていたのはラミンAというタンパク質を作っている遺伝子だった。
 ラミンAは通常であれば、細胞の核膜を支える足場の役割をする。
 テントを想像してみるといい。
 天幕にあたるのが核膜で、それを支える骨組みがラミンAだ。
 プロゲリアの人はラミンAが欠けているため、細胞が急速に劣化するのだ。
 2006年には別のチームがラミンAと正常な老化の関係を確認した。
 正常な高齢者の細胞にもプロゲリア患者の細胞と同様の欠損があったと報告したのだ。

 これは画期的は発見だった。
 それは、プロゲリアの特徴である加速度的な老化と正常な老化には、遺伝子レベルで共通する要素があることがはじめて確かめられたからだ。
 正常な老化に遺伝子が絡んでいるとわかったことは、大きな意味をもつ。
 これまで科学者たちは、ダーウインが適応と自然淘汰、進化の説を唱えてからというもの、その全体像の中で「老化」はどこにあてはまるのかということに悩んできた。
 老化とは進化の結果なのだろうか? と。
 言葉を換えれば、老化は計画外の付随的なものか、それとも意図的に計画されたものなのか?

 プロゲリアその他の老化加速型の病気を見ているかぎり、老化はあらかじめプログラムされたもの、つまり意図的に計画されたものに思える。
 たったひとつの遺伝子エラーが赤ん坊や思春期の子どもに老化を加速させるなら、老化の道筋は決まっているということになる。
 老化を遺伝子がコントロールしているからこそ、遺伝子エラーでプロゲリアが起こるのだ。
 ということは、もうひとつの疑問に突き当たる。
 人間とは最初から「死に向かう」ようにプログラムされているのだろうか?

 レオナルド・ヘイフリックは現代の老化研究の基礎を築いた人物の一人だ。
 彼は1960年代に、細胞は決まった回数だけ分裂するとじみょうが尽きてしまうことを発見した(例外もあるのだが、それについてはあとで説明する)。
 この細胞分裂回数制限は「ヘイフリック限界」と呼ばれていて、人間の場合は「52回から60回ほど」だ。
 ヘイフリック限界は、染色体の末端を保護するキャップにあたる「テロメア」がすり減っていくことに関係がある。
 細胞は分裂するたびにDNAの破片を少しづつ失う。
 DNA情報を確実に複製するためには、失った破片部分の情報を補わなければならない。
 その情報補充に使われるのがテロメアだ。
 テロメアは細胞分裂のたびに短くなっていくが、そのおかげでDNAの全情報が守られる。
 しかし、細胞が50~60回分裂するとテロメアはなくなり、情報伝達はそこで終了となる。
 つまり、細胞分裂は行われなくなる。
 では、細胞分裂に限界を設けるように進化したのは何のためなのだろう。
 答えを先に言おう。
 「癌だ!」

 すでにご存知のことと思うが、「癌」というのは特定の病気の名前ではない。
 それは、「細胞増殖が軌道を外れて暴走してしまう病気」の総称である。
 実際のところ、癌の中には治療可能なものもあり、その場合は生存率も回復率も心臓発作や脳卒中に比べればずっといい。
 人の体には、癌になることを防ぐための何層もの防御機構がある。
 腫瘍を抑制する役目を負った特別な遺伝子もあれば、癌細胞を探し出してやっつけるタンパク質を作る遺伝子もある。
 癌と闘う遺伝子を修復するための遺伝子まである。
 細胞には「切腹メカニズム(ハラキリメカニズム)」がある。
 これはアポトーシスというプログラムされれた「細胞死」で、ある細胞が感染をウケたり損傷したりしたと気づいたとき、あるいはたの細胞からそれを「指摘」されたとき、その細胞が自殺するメカニズムだ。
 その一番手が、ヘイフリック限界ということになる。

 ヘイフリック限界はあなたを癌から守る。
 細胞がおかしくなってもヘイフリック限界がその増殖を断つことで、それ以上に広がりを防いでくれる。
 決められた回数しか細胞分裂できない、しない、ということは、悪い細胞が無制限に増殖しないということだ。
 そう、そこまでは正しい。
 が問題は、癌細胞とはさらにズル賢いということだ。
 癌はちょっとしたトリックを使ってくる。
 その一つがテロメラーゼという酵素だ。
 テロメラーゼは、染色体の末端にあるテロメアを延長させることができるのだ。
 正常な細胞ではテロメラーゼは眠っており、テロメアはきちんと短くなる。
 しかし癌細胞ではこのテロメラーゼが目覚めていて、テロメアをどんどん補充する。
 これにより細胞に貼られていた「賞味期限」のシールは剥がされ、癌細胞は永遠に増殖し続けることになる。
 「癌になる」というとき、これはたいてい「テロメラーゼが活動」している状態をいう。
 人間の癌性腫瘍細胞の90%以上はテロメラーゼの助けを借りて勢力を伸ばす。
 テロメラーゼがヘイフリック限界を向こうにするからこそ、癌細胞は無制限に増殖して人の体を蝕むことになる

 優秀な癌細胞はプログラムされた細胞死、つまりアポトーシスを回避する道を見つけるのだ。
 癌細胞は、正常な細胞なら何かがおかしくなったときに指示される自殺命令を無視して、永遠に分裂できる「不死細胞」になる。
 科学者たちは現在、テロメラーゼの活動が増大したかどうかを検知する検査方法を確立すべくやっきになっている。
 そうなれば、癌の早期発見は今よりずっと容易になるだろう。

 ヘイフリック限界にはもう一つ例外がある。
 いま世間で注目の細胞、「幹細胞」だ。
 幹細胞は「未分化」の細胞で、いろいろな種類の細胞に分裂することができる。
 細胞分裂というとふつう、抗体を作るB細胞からはB細胞しかできないし、皮膚細胞からは皮膚細胞しかできない。
 ところが幹細胞は分裂するとき別の種類の細胞を作ることができる。
 あらゆる幹細胞の元にあたるのは、精子と卵子が結合した接合子だ。
 この接合子というたった一つの細胞が、体を構成するすべての細胞を作りだす。
 幹細胞は癌細胞と同じようにテロメラーゼを使ってテロメアの長さを一定に保つ。
 幹細胞もまた、ヘイフリック限界の干渉を受けない「不死細胞」なのだ。
 科学者たちが幹細胞に熱い視線を注ぐのは、望む細胞を無限に作り出せるという幹細胞の潜在能力を使えば、病気治療の可能性が大きく広がると信じているからだ。

 細胞分裂に制限回数があるというのは、癌を防ぐ目的で発達したメカニズムだろうと考えられるが、ものごとには必ずプラスとマイナスがある。
 ヘイフリック限界のプラス面が「癌予防」なら、マイナス面は「老化」だ。
 細胞は決められた回数だけ分裂すると、それ以上は分裂せず、置いて死を待つだけになる。

 もちろん、生き物に老化のメカニズムが進化した理由は、癌予防とヘイフリック限界だけでは説明できない。
 何よりも、これだけでは動物の種ごとに寿命の長さが違う理由が説明できない。
 寿命の長さは種によって---たとえごく近い種どうしでも---大きな差がある。
 哺乳類に関しては、一部の例外を除いてほぼサイズと寿命は比例している。
 体が大きいほど長く生きる。
 ここでいう体の大きさとは、個人差や個体差ではない。
 種としての平均的なサイズが大きければ、種としての平均寿命が長いという意味だ。
 大型哺乳動物の寿命が長い理由は、一部には、大きい動物のほうがDNA修復能力が発達しているからだ。
 DNA修復能力がたかければ長生きできるのはわかる。
 ではなぜ、大きい動物の方がその能力が発達しているのだろう。

 まず考えられるのは、寿命の短さと外界の脅威の大きさには直接の因果関係があることだ。
 これは単に、捕食者に食べられた時点で死ぬから寿命が短いという意味ではない。
 捕食者に食べられるリスクの高い動物は、たとえ食べられなくとも最初から長く生きないように設計されているということだ。
 ある種が環境的な脅威にさらされているとき、その種は早く子孫を作る方向に進化の圧力がかかる。
 つまり早く大人になるということだ。
 寿命が短いということは世代交代の時間も短いということで、その種の進化は速くなる。
 進化が早ければ外界の脅威にそれだけ速く適応できるということだ。

 おそらく、老化がプログラムされていることは個人にとって有益なのではなく、種の進化にとって有益なのだろう。
 老化とは「計画された旧式化」の生物版だと言えないだろうか。
 計画された旧式化とは、賞味期限を与えるという概念だ。
 賞味期限を過ぎた、つまり決められた年数を過ぎた古いものは保証しないということだ。
 その生物版である老化もこれにこれに似ている。
 第一に、老化は旧モデルを退け、新モデルのための余地、つまり進化による変化を生み出す余地を作る。
 第二に、老化は寄生生物のどっさりいる旧世代の個体を消して、新世代を守る。
 つまり、老化とは「種のアップグレード戦略」なのだ。







 【習文:目次】 



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2010年12月15日水曜日

: 遺伝子スイッチのonとoff

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● 2007/08



 人間に起きる場合を考えてみよう。
 人間も正しいエピジェネテイックな信号をおくりさえすれば、健康で頭のいい赤ん坊を産むことができるのだろうか。
 この分野の研究がもっと進めば、出産後に有害となる遺伝子の発現を抑えたり、眠っている有益な遺伝子を目覚めさせたりするのも夢ではなくなるかもしれない。
 エピジェネテイクスはひょっとすると、人間の健康管理の概念をまったく新しいものに書き換えてしむかもしれないのだ。
 DNAは運命だが、修正可能な運命だ。

 人間のエピジェネテイクス研究で、現在もっとも注目されているのは対峙の発生についてだ。
 受精後の数日間、母親自身はまだ妊娠したとは気づいていない時期が、かって考えられていた以上に重要であることがいまや明白になっている。
 この時期の重要な遺伝子のスイッチが入ったり、きれたりしているのだ。
 また、エピジェネテイクスな信号が送られるのが早ければ早いほど、胎児にその指示が伝わりやすい。
 言ってみれば、母親の子宮は小さな進化実験室なのだ。
 新しい形質はここで、胎児の生存と発育に役立つものかどうか試される。
 役にたたないと分かったら、それ以上は育てず流す。
 実際に、流産した胎児には遺伝的な異常が多く認められている。

 アメリカ人が多く食べているいわゆるジャンクフードは、高カロリー高脂肪ではあるが、栄養分、特に胚の発生時に重要な栄養分はほとんど入っていない。
 妊娠1週間目の妊婦が典型的なジャンクフード中心の食事をしていれば、胚は、これから生まれ出る外の世界は食糧事情が悪いという信号を受け取る。
 このエピジェネテイクスな影響を複合的にうけて、さまざまな遺伝子がスイッチを「on」したり「off」したりする。
 それは、外の世界の少ない食料で生き延びられる体の小さい赤ん坊を作ることになる。

  20年ちかくまえのことだが、イギリスのデイヴィッド・バーカー教授は胎児期の栄養不足と将来肥満になるということの関連性をはじめて提唱した。
 以来、彼の理論はバーカー説または「節約型表現型説」と呼ばれ、あちこちで引用されている。
 ちなみに「表現型」というのは、遺伝子が実際に形態として現れる型のことである。
 もしあなたの両親の一方が平耳(耳タブが垂れ下がっていない)で、もう一方が福耳(耳タブが垂れ下がっている)だと、福耳が優生遺伝子なのであなたは福耳になる。
 あなたの表現型は福耳である。
 ところがエピジェネテイックな影響は遺伝子型を変えずに表現型を変える。
 もし、あなたの福耳遺伝子の発現がメチル化でオフされたら、あなたの表現型は福耳でなくなるかもしれず、平耳になるかもしれない。
 それでもあなたの遺伝子型は福耳のままなので、その遺伝子型はあなたの子どもに聴き継がれる。
 あなただけが、福耳になるスイッチを切られいるという状態になる。

 節約型表現型説によれば、栄養分の乏しい体験をした胎児は「節約型」の代謝を発達させて、胎内にエネルギーを蓄積しやすい体になる。
 節約型の表現型をもった赤ん坊が食料の乏しい1万年前の時代に生まれていれば、節約型の代謝のおかげで生存の確率がたかまったであろう。
 だが、栄養分が乏しいのにカロリーだけは高い食料が豊富な21世紀に生まれてくると、ひたすら太ることになってしまう。
 母親の食習慣が子どもの代謝体質を決めるという通説はエピジェネテイクスで説明できるようになったため、節約型表現型説の説得力はさらに強まった。

 母性遺伝に関しては、あなたの遺伝子型にあなたの祖母が得たメチル化の書き換え情報が加わるチャンスはかなり高いと思われる。
 女児(あなたの母)が生まれるとき、その女児はすでに卵巣の中に一生分の卵子を持っているからだ。
 奇妙に思えるかもしれないが、あなたの染色体の半分を決める卵子は、あなたの母が、あなたの祖母の子宮の中にいる間に作られたものなのだ。
 あなたの祖母が母にエピジェネテイックな信号を伝えたとき、祖母はその同じ信号をいずれあなたのDNAの半分になる卵子に伝えていることは、近頃の研究が指し示している。
 メチル化による改変が世代ごとに消去されないなら、それは結局、進化になる。
 あるいは、親や祖父母が獲得した形質はその子孫にずっと遺伝する、といい換えてもいい。

 これまで紹介してきたメチル化の影響のほとんどは、出生前に起きているものだ。
 だが、エピジェネテイックな変化は生きているあいだじゅう起こる。
 メチル化が起これば遺伝子がオフになり、メチル化がなくなれば遺伝子はオンになる。
 メチル化は、変異と同じくそれ自体いいものでもわるいものでもない。
 どの遺伝子がオンになって、どの遺伝子がオフになるか、そしてその結果がどうか、というだけの話だ。
 
 現在のエピジェネテイクスは、「知れば知るほどわからなる」ような段階かもしれない。
 われわれはまだ、「何がわからないのかさえよくわかっていない」
 ようするに、実際に何が起きているのか、まだ何も分かっていないということだ。

 エピジェネテイック効果や母性効果の不思議について、ニューヨークの世界貿易センターとワシントン近郊で起きた9/11テロ後の数ヶ月について見てみよう。
 このころ、後期流産の件数が跳ね上がった。
 カリフォルニア州で調べた数字によると、この現象を、強いストレスがかかった一部の妊婦は事故管理がおろそかになったからだ、と説明するのは簡単だ。
 がしかし、流産が増えたのは男の胎児ばかりだったというのはどう説明すればいいだろう。
 カリフォルニア州では、2001年の10月と11月に、男児の流産率が25%も増加している。
 母親のエピジェネテイックな構造の、あるいは遺伝子的な構造の何かが、胎内にいるのは男の子だと感じとり、流産を誘発したのではないだろうか。

 逆に、大規模な紛争があると男児の出生率が上がるという研究結果もある。
 第一次世界大戦と第二次世界大戦の直後がそうだった。
 最近ではイギリスで600人の母親を対象にした研究では、自分たちは早死しそうだと予測している人より、健康で長生きすると予測している人ほど男児を多く産んでいた。
 どうやら、妊婦の心の状態がエピジェネテイックは事象または生理学的な事象を引き起こし、それが妊娠状態と男女の出生率を調整しているらしい。
 いい時代には男児を多く。
 つらい時代には女児を多く。
 では、エピジェネテイクスの時代は?






 【習文:目次】 



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: エピジェネテイクスとメチル化

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● 2007/08



 アメリカの子どもの1/3は太りすぎ、つまり肥満症だ。
 人数にするとおよそ2,500万人。
 過去30年間で、2歳~5歳児の肥満率は2倍に、6歳から11歳の肥満率はおよそ3倍になった。
 2000年に生まれた女の子は将来40%の確率で成人型糖尿病になると推定されている。
 この子たちは、まだ子どもだというのに大人と同じ肥満関連の病気の症状を示している。
 最近の調査によれば、5歳児~10歳児のおよそ60%に、高コレステロール、高血圧、高脂血症、高血糖などの心臓病のリスク因子が少なくとも1つあり、そのうちの25%は2つ以上のリスク因子があるという。
 アメリカ人の平均寿命は今後、肥満児の急増によって今より5歳短くなるであろうとも言われている。

 親、とりわけ母親の妊娠初期の食習慣が生まれてくる子どもの代謝作用に影響している、という結果が報告されつつある。
 つまり、あなたがこれから子どもを作るつもりでいるなら、ビックマックにかぶりつく前に、2つのことを考えてみたほうがいい。
 あなた自身のウエストと、未来の子どものウエストと。

 これは言っておくが、親が獲得した、太りすぎという形質を子どもに遺伝させているわけではない。
 遺伝子に書かれている指示が「実行されるか否か」、という話だ。
 遺伝子の指示が実行されて、指示通りの結果が出ることを「発現」という。
 どんなふうに「発現」するかということについての理解は、ここ数年で急速に変わりつつある。
 過去5年間に行われた一連の画期的な研究によると、ある種の化合物は特定の遺伝子に付着して、その「遺伝子の発言を抑える」ことがわかった。
 遺伝子にスイッチがついていると過程するなら、それが「オフ」になるのだ。
 そして、食べ物やタバコなどの環境要因が、このスイッチをオンにしたりオフにしたりしていることが分かってきた。

 この研究結果は遺伝学の世界全体を変えつつある。
 遺伝学の下に「後成遺伝学:エピジェネテイクス」という一つのまとまった学問分野すらできてきた。
 エピジェネテイクスとは、親から受け継いだDNAを変えずに、親が獲得した形質を子どもがどう発現すること
になるのか、を研究する学問である。
 DNAに書かれている指示そのものは変わらなくても、それ以外の何かが指示を出す出さないの干渉をしているらしい。
 遺伝子があるということと、その遺伝子が機能するということは、別のことなのだ。

 エピジェネテイクスという言葉は1940年代に作り出されたが、今日の学問分野としてはまだ幼い。
 初の大きな突破口が開かれたのは2003年のデューク大学の実験で、その主役は一匹のやせ細った茶色のマウスであった。
 というのはその両親は太ったクリーム色の形質を何世代もわたって伝えてきている特別な系統のマススだった。
 この系統のマウスはどれも、白っぽい毛の色と肥満を」特徴とする「アグーチ」という遺伝子をもつ。
 アグ-チ・マウスのオスとメスが交尾すれば、アグーチ・ベイビー、つまり太ったクリーム色のマウスが生まれてくる。
 それが延々と繰り返されてきた。
 デューク大学に連れていかれるまでは。

 実験チームはマウスを2つに分けた。
 片方は、特別なことは何もしない比較のための「対照群」。
 対するもう片方は「実験群」である。
 この実験群には普通の食事のほかに、ビタミンのサプリメントを与えた。
 ビタミンB12、葉酸、ベタイン、コリンと、人間の妊婦管理で処方されるものと同じ成分のものである。
 このなんでもない実験の結果が、遺伝子の世界を揺るがしたのだ。
 太ったクリーム色のオスとメスから、やせた茶色い赤ん坊が産まれたのだ。
 これまで当然と思われてきた常識が、吹っ飛んでしまった。
 またひとつ、遺伝学の謎が増えた。
 子どもマウスの遺伝子が消えたり、あるいは突然変異したわけではない。
 やせた茶色の子どもマウスのアグーチ遺伝子は、本来あるべきところにちゃんとあって、太ったクリーム色のマウスを作る指示を用意していた。
 いったい何がおきたのだろう?

 真相はというと、妊婦マウスが食べたビタミン・サプリメントの成分の一部が胎内の胚にとどいて、アグーチ遺伝子のスイッチを「オフ」にしていたのだ。
 子どもマウスが生まれるとき、そのDNAにはもちろんアグーチ遺伝子が入っていたが「発現」しなかったのだ。
 その遺伝子に付着した化学物質が、遺伝子の指示の実行を抑えていたのだ。
 このような遺伝子の発現抑制をもたらす改変を、DNAの「メチル化」という。
 メチル化とは、メチル基という化合物が遺伝子に結合することで、DNA配列を変えずに遺伝子の発現作用だけがオフになることをいう。
 ビタミン・サプリメントの成分の中には、発現抑制を引き起こすメチル基由来の分子が入っているのである。
 子どもマウスがメチル化の影響をうけたのは、スリムな体系と茶色の毛皮だけではない。
 アグーチ遺伝子のスイッチをオフにされたマウスは、その親たちよりも癌や糖尿病を発症する割合が大幅に低かった。

 この実験の衝撃は大きく、それ以降エピジェネテイクス研究は爆発的に増えた。
 その衝撃がどんなものかを紹介しよう。
 まず、遺伝子設計図は「消えないインク」で書かれているとされていた常識を消してしまった。
 これ以降、遺伝子は不変でも指示は変わりうるという概念を考慮しなければならなくなった。
 まったく同じ遺伝子セットであっても、個々の遺伝子がメチル化されるかされないかで異なる結果を生み出すことがわかった。
 遺伝子コードという土台だけではなく、その上にかぶさる別の層の条件が出現したのだ。
 (エピジェネテイクスの「エピ」とはギリシャ語の接頭語で、まさに「上にある、あとから、別の」という意味である)
 つぎに、母親が生きているときの環境要因が子どもの形質遺伝に影響することが示されたことになる。
 環境要因はベビー・マウスが受け継いだDNAを変更してはいないが、DNAの発現の仕方を変えている以上、やはり遺伝を変えていることになる。

 DNAは一切変わっていないのに、発現する、しなしが変わっている。
 母親の経験が子どもの遺伝子発現に影響をあたえるというこの現象は「予測適応反応」、あるいは「母性効果」と呼ばれている。








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: レトロウイルスと高速変異

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● 2007/08



 ウイルスとは遺伝子情報の切れ端であり、自分では動くことも増殖することもできない。
 宿主に感染して、宿主の細胞の増殖機能を乗っ取ることによって、はじめて増殖できる。
 ウイルスは細胞内で自分自身を何千回も複製し、やがて細胞を破裂させて外に飛び出し、新しい細胞に移動する。
 科学者の大半はウイルスを「生きている」とは考えていない。
 自分だけでは増殖も代謝もできないからだ。

 レトロウイルスとは、特殊なウイルスの一集団のことだ。
 細胞の集合体である生物が、遺伝子情報からどのように作られるのかを説明しておこう。
 その道筋をを大雑把にいうと「DNAからRNAへ、RNAからタンパク質へ」ということになる。
 あなたの体を一つの町だと考えてみよう。
 そこに建てられる建物のすべての設計図が収納されている図書館がDNAである。
 特定の建物を建てようとしたとき必要になるのはRNAポリメラーゼという酵素で、この酵素は建物の設計図を転写して、それをメッセンジャーRNA(mRNA)に引き渡す。
 mRNAはその設計図を建設現場にもっていき、建物の建設、すなわちタンパク質の合成を指示する。

 科学者たちは長い間、遺伝子情報はDNAからRNAへの一方向にしか流れないと考えていた。
 だが、レトロウイルスの発見により(HIVもレトロウイルスだ)、それが誤りであることが分かってきた。
 レトロウイルスはRNAでできている。
 レトロウイルスは「逆転写酵素」という酵素を使って、RNAにある自身の情報をDNAに書き写す。
 つまり、普通のタンパク質合成時とは逆向きに情報を流している。
 RNAはコピー取りと届けものをするだけのメッセンジャーだと思っていたら、元の設計図を書き換えるという大胆なことをやっていたのだ。
 これを意味するところは非常に大きい。
 なぜなら、レトロウイルスはDNAを変えてしまうことができるからだ。
 DNAへと逆に向かうRNAの発見は、HIV治療として現在主流である「カクテル療法」の新薬開発につながった。
 この療法は、逆転写酵素の作用を薬で止めるプロセスを含んでいる。
 逆転写酵素の助けがなければ、HIVは自分の情報をDNAに書き写そうとしてもできないからだ。

 今のところ科学者たちは、HIVがワイスマンの壁を突き破って卵子や精子に入り込むとは思っていない。
 HIVに感染している母親がそれを子どもに引き継がせてしまうのは、出産時に母親と新生児の血液が混じり合うからだと考えている。
 通常は、親が持つレトロウイルスによって書き換えられたDNAをもった子どもが生まれてきても、その変異はたいてい有害なので淘汰される。
 もしそれが有害でなかったら、あるいは有益だったら、そのDNAをもった子どもは生き延びて子孫を作る。
 DNAに書き記されたウイルス情報は、永遠に遺伝子プールにとどまることになるのである。
 ウイルス由来の遺伝子コードがその生き物の遺伝子プールの」一部になってしまうと、どこまでがウイルス由来で、どこからその生き物独自のものであるかの判断は、簡単には線引ききなくなる。
 いまのところ、ヒトゲノムの少なくとも「8%」は、レトロウイルスとその関連の成分が人間のDNAに居座ってしまったものだと考えられている。
 これは「ヒト内在性レトロウイルス(HERV)」と呼ばれる。
 このHERVが人間の健康にどんな役割を果たしているのかについては、まだ研究がはじまったばかりであるが、HERVが健康な胎盤の形成を助けているとか、皮膚病の一種である乾癬との関連性を示す研究とか、いくつかの興味深い報告が出てきている。

 ジャンピング遺伝子も、おそらくウイルス由来なのではないかと考えられている。
 ジャンピング遺伝子は基本的に2種類ある。
 ひとつは「DNAトランスポゾン」で、カット&ペーストでジャンプする。
 もうひとつは「レトロトランスポゾン」で、コピー&ペーストでジャンプする。
 レトロトランスポゾンは、レトロウイルスと恐ろしいほどよく似ていることがわかった。
 自身の情報を他の遺伝子に差し込んで、DNAを書き換えるというメカニズムが同じなのである。
 レトロトランスポゾンはまず、通常の遺伝子のように自身をRNAに転写する。
 つぎに、そのRNAはゲノムの書き換え場所に到着すると、逆転写酵素を使ってレトロトランスポゾンのコピーを作り、それをもともとそこにあったDNAにさしこんでペーストする。
 ということは、トランスポゾンはレトロウイルス由来の遺伝子だと十分にかんがえられるではないか。

 ウイルスは変異の達人である。
 進化可能性の宝庫であり、その可能性をすばやく実現させる。
 ウイルスの変異速度は人間の変異速度の100万倍なのだ。
 明日になればウイルスのほとんどが、次の世代を産んでいる。
 それを数十億年のあいだ繰り返してきたのである。
 人間のゲノム内にいる存続ウイリスは、人間が生存と種保存の危機にさらされると、同じように危機にさらされることになる。
 人間のDNAの一部なのだから進化の利害は人間と一致する。
 おそらく人間は宿主としてウイルスに「ただ乗り」させてやり、ウイルスはその莫大な遺伝子図書館から遺伝子コードを貸しだしてきた。
 ウイルスはその驚異的は変異速度で、たまたま出会した有益な遺伝子を勢いよく変化させる。
 人間にはとてもできない芸当だ。
 ともかくウイルスと共同作業しているおかげで人間は、独力ではとても達成不可能な速さで複雑な生き物に進化してきたのだろう。

 ジャンピング遺伝子はおそらくもとウイルスだった。
 複雑な生き物ほどジャンピング遺伝子を多くもっていることがわかってきた。
 人類のゲノムは、ある特定のレトロウイルスによって、別のレトロウイルスに感染しやすいように変えられた。
 ウイルス研究所所長のルイス・ヴィラリアルは、アフリカの霊長類に「別のウイルスに延々と感染する」能力がついたことで、人類は進化の「早送りボタン」を手にいれたのだと言う。
 他のレトロウイルスにさらされることで、高速変異を可能にする機能だ。
 この能力のおかげで、サルから人間へと一気に進化することができた、と言うのだ。
 進化とは「知性ある設計者:インテリジェント・デザイナー」ではなく、「感染性のある設計者:インフェクシャス・デザイナー」が創造しているのだろうか?








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: ジャンピング遺伝子とワイスマンの壁

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● 2007/08



 植物は大きなストレスを受けると、DNAの特定の塩基配列をごっそりある場所から別の場所に移動させたり、ときには活動中の遺伝子の中に挿入させたりすることがわかった。
 これらの遺伝子は自分たちを別の遺伝子内に切り貼りしていくとき、周囲の遺伝子に影響を与えることになる。
 つまりDNAの配列をを変えながら、遺伝子を活性化させたり、あるいは休眠させたりしている。
 このように動き回る遺伝子はでたらめに行動しているわけではなく、規則性をもっている。
 まず、遺伝子はゲノムのある部分に集中して移動し、他の部分には向かわない。
 つぎに、こうした大胆な変異は外部からの影響が引き金になるようにみえた。
 外部からの影響とは、干魃や気温上昇などトウモロコシの生存を脅かす環境変化だ。
 簡単にまとめると、でたらめに変異したり、ごくたまに変異したりするのではなく、目的と目標をもって変異しているようなのである。
 この発見はバーバラ・マクリントックによってなされたが、この「転移遺伝子群」は「ジャンピング遺伝子」と呼ばれ、われわれの認識を刷新した。

 このジャンピング遺伝子の発見は、でたらめでめったに起きない微小な変異という思い込みから、もっと力強い変異の可能性に通じる扉を開いた。
 このことは、進化というものが、それまで考えられていたよりもずっと速く、勢い良く起こる可能性をも示している。
 科学者たちはジャンピング遺伝子---正式名は「トランスポゾン」---がどうはたらくのか、やっと理解し始めたところだ。
 たとえば、トランスポゾンは、自分自身のコピーを作り、それをゲノムの別の場所に差し込んで貼り付ける。
 もとの場所には元の遺伝子を残したままで。
 これは「コピー&ペースト」だ。
 あるいは「カット&ペースト」もする。
 もといた場所をカラにして、別の場所に移動するのだ。
 新しくやってきたジャンピング遺伝子は居座ってしまうこともあれば、それが「校正」システムではじき飛ばされることもあり、別の違った方法で削除されることもある。

 はっきりしていることは、トランスポゾンの遺伝子群は自分自身を他の場所に移すとき、「活性状態」で入っていくことだ。
 これにより、その場所から新しい指示が出て、形質に確実に変化がもたらされることになる。

 次なる最大の疑問は、なぜトランスポゾンがいきなり転移するかだ。
 マクリントックは、細胞レベルでは対応しきれない圧力が内部あるいは外部からかかったとき、遺伝子レベルで対応するのがこの転移なのだと信じている。
 生存と種保存が危機にさらされたときにふられるサイコロのようなものだ。
 とすると、サイコロの目がどう出るかは、誰もわからない。
 いい目が出れば、つまり有利な変異ができれば生き延びられる。
 悪い目が出れば消えていくしかない。
 サイコロと同じくいい目を期待して遺伝子レベルで転移するのだろう、とマリントックは結論づけた。
 気温が高すぎるたり、水が少なすぎたりといった状況が引き金になって、トウモロコシは生存を確実にする変異を探すために「賭けに出る」のだと。
 ともかく、変異をこしさえすれば、その後は校正システムが調整してくれる。
 さらに自然淘汰が適応する変異を子孫に残し、適応しない変異を断絶させる。
 そう、これが進化だ!
 マリントックは、ジャンピング遺伝子がストレス時にジャンプしがちなことだけでなく、ある特定の遺伝子のところにジャンプしがちなことにも気がついた。
 とすると、これは意図的な転移となる。
 行き当たりばったりでジャンプしているのなら、着地点はゲノム全体に広がるはずだ。
 どうやらゲノムは、ジャンプする遺伝子を変異させたい場所に誘導しているらしい。
 つまり、少しでも特定の目が出やすくなるようにサイコロに細工しているのではないかと彼女は考えた。
 現在では、科学者たちはマクリントックのゲノムに対する見方を引き継いでいて、変異や進化はめったに起きないでたらめなエラーによる偶然の結果だ、という見方からは離れている。

 そう、ゲノムは部屋の模様替えが好きらしいのだ!

 人間の遺伝子に入る前に、いくつか確認しておきたいことがある。
 まずは、「ワイスマンの壁」と呼ばれて広く親しまれている遺伝子原則についてだ。
 アウグスト・ワイスマンは19世紀の生物学者で、生殖質という理論を打ち立てた。
 この理論は、細胞を生殖細胞と体細胞の2種類に分けるというものだ。
 生殖細胞には子どもに伝える情報が入っている。
 卵子と精子は究極の生殖細胞である。
 それ以外のすべての細胞、たとえば赤血球、白血球、皮膚、髪の毛の細胞などは体細胞になる。

 「ワイスマンの壁」とは生殖細胞と体細胞を分ける壁のことで、体細胞の情報はこの壁を越えて生殖細胞に行くということは絶対にありえない、という意味である。
 これにより体細胞側で起きた変異は生殖細胞側には伝わらないため、子どもには遺伝しないことになる。
 もちろん、生殖細胞で起きた変異は子孫の体細胞に引き継がれる。
 じつは最近、この壁が必ずしも通過不可能ではないことを指し占める証拠が出てきている。
 それがある種のレトロウイルスだ。
 レトロウイルスの一部はワイスマンの壁を突き抜けて、体細胞のDNAを生殖細胞に伝えることができるらしい。
 もしそうなら、後天的に獲得した形質が子孫に伝わるという考え方のドアが、理論上開いたことになってくる。

 進化というと、ふつう生殖細胞での変異を考える。
 卵子か精子の遺伝子の一部が、いままでとは異なった形質を子どもに伝える遺伝子に変わってしまうという変異だ。
 そして、子どもに出た新しい形質が生存と種保存に有利であれば、それは子孫の世代にどんどん伝えられ集団全体に広がる。
 新しい形質が生存と種保存に不利であれば、とうからず消えていく。

 変異は生殖細胞以外では日常的に起きていることなのだ。
 一番身近な、そして恐ろしい変異は癌だ。
 癌は、本来なら癌細胞の増殖を抑えるはずの遺伝子が変異したため、癌細胞が野放しに増えてしむ病気だ。
 癌の一部は少なくとも遺伝性だ。
 その変異遺伝子は子孫に伝わる。
 遺伝性でない癌は、喫煙や放射能汚染などの外部要因が引き金になる。

  変異とは、定義上、単に「変わる」ことを意味するだけである。
 ジャンピング遺伝子による変異は、人間が人間であるために不可欠な2つのの重要な機能を支えているらしいことが分かってきた。
 一つは脳であり、もう一つは免疫である。

 ジャンピング遺伝子は、脳発生の初期段階で爆発的に活性化する。
 脳のあちこちに遺伝物質を挿入し引っ掻き回すのだが、その混乱状態こそが脳発生の一過程でもある。
 この遺伝子ジャンプ・パーテイには重要な目的があるらしい。
 脳を一人ひとりの独特な脳に作り変える、つまり多様な個性を産み出そうとしているようなのだ。
 発生段階での遺伝子コピー&ペースト競争は、脳の中でしか起こらないのである。

 多様性を歓迎するシステムは脳神経系のほかにもう一つある。
 免疫系である。
 免疫系は歴史上もっとも「柔軟な労働力」を求めてきた。
 外からやってくる膨大な種類の有害微生物やウイルスと戦うために、人間の免疫系は無数の抗体---外敵一つひとつに対応するタンパク質---を作らねばならない。
 こうしたタンパク質を作りだすメカニズムはまだ完全に解明されていない。

 体は、特定の外的に対する抗体を一度作れば、その抗体をずっと持ち続ける。
 同じ外的に再度侵入されても2度目からは戦いが有利になる。
 「はしか」のように一度かかったら一生かからない免疫力を獲得することもある。
 B細胞で起こした変異は生きている限り有効だが、それを子どもに受け継がせることはできない。
 B細胞はワイスマンの壁の体細胞側にいるのだから。
 生まれたばかりの子どもにはわずかしか抗体がないので免疫系はフル回転で創業する。
 母乳育児がいいとされる理由の一つは、赤ん坊の免疫系の準備が整うまでのあいだ、母乳に含まれている抗体が一時的な予防接種のような作用をして感染を防いでくれるからだ。
 だが、転移可能な遺伝物質、つまりジャンピング遺伝子が生命維持と進化に具体的にどう貢献しているかはまだわからない。
 その謎を得入り口にやっと立ったばかりなのだ。
 人間の遺伝子のうち、実際に指示を出している遺伝子の1/4は、ジャンピング遺伝子からのDNAが組み込まれいる形跡があるのだ。

 ジャンピング遺伝子は、プログラム実行中に変更処理をどんどん咥えていく「オン・ザ・フライ方式」の遺伝子組み換えを、自然にやっているようなものだとかんがえられるようになってきた。
 その仕組が理解できるようになれば、人間の免疫系が病気をどう防いでいるのかや、人間の遺伝子構造が環境ストレスにどう対応するのかとかなど、もっと多くのことが解明されるであろう。
 そうなれば、その知識を病気の予防に応用したり、弱った免疫系を回復させたり、有害な変異を遺伝子レベルで修復したりといった、まったく新しい医療の未来が開けるかもしれない。








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: 突然変異は偶然ではない

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● 2007/08



 人間はみな、たった一つの細胞から生まれる。
 その細胞は「接合子」とよばれる。
 父親からきた精子と母親からきた卵子の細胞が合体した、命のはじまりの細胞だ。
 何万年ものあいだに経験してきた進化の圧力、反応、適応、選択のすべてがこの細胞に詰まっている。
 人体を隅々まで形作るタンパク質を製造するための遺伝子の指示がすべて、この細胞に入っている。
 その指示はおよそ「30憶」の「DNA塩基対」の上に記憶されているが、遺伝子の総数は3万個もないといわれている。
 それらが「23対」の染色体、つまり「46本」の染色体に入っている。
 23対の染色体の片方は母親から、もう片方は父親からきたものだ。
 23番目の「性染色体」以外は、指示する対象の同じものどうしが対になっている。
 ただし、体のどの部分にどんなことをさせるかの指示はが「どう出るか」はその組み合わせによって決まる。
 たとえば、あなたの指に毛が生えるか生えないかの指示について考えてみよう。
 父親からきた染色体には「毛を生やさない」指示が、母親からきた染色体には「毛を生やす」指示があったとする。
 この場合、あなたの指には毛が生える。
 指に毛を生やす形質は「優性(1)」で、毛を生やさない形質は「劣性(0)」なので、毛を生やす遺伝子が一つあるだけでその形質は出現する(1+0=1)。
 指に毛が生えないためには、毛を生やさない遺伝子が二つ揃わなければならない(0+0=0)。

 あなたの体の細胞は同じDNA---あらゆるタンパク質、あらゆる種類の細胞を作るための指示がすべて入った染色体セット---を含んでいる。
 だが、例外が一つある。
 それは子孫を作り出すための「生殖細胞」だ。
 生殖細胞である精子と卵子は各々23本の染色体しか含んでいない。
 精子と卵子が合体して、接合子になってはじめて、46本の完全な染色体セットをもつ細胞になる。
 この瞬間から、その後に細胞分裂してできる細胞のすべてが共通の設計図を持つことになる。
 皮膚細胞から血液細胞まで、あなたの体にあるすべての細胞の作り方を知っているのである。

 人間の細胞のほとんどすべてには「ミトコンドリア」という、細胞を働かせるためのエネルギーを作りだす発電所のような場所がある。
 現在では科学者の大半が、ミトコンドリアはもともとは独立した細菌だったのが、長い間寄生しているうちに宿主の役に立つように進化したものだと信じている。
 この「もと細胞」は、人間のほとんどすべての細胞の中で生きていると同時に、それ自身で遺伝させることのできるDNAをもっている。
 このDNAを「ミトコンドリアDNA(mtDNA)」という。
 人間がともに暮らすことにした有機体は、この「もと細菌」だけではない。
 人間のDNAのおよそ1/3は、「もとウイルス」だと科学者たちは信じている。
 つまり、人間の進化とはウイルスや細菌に適応するように形作られたというより、ウイルスや細菌を組み込むように形作られてきた、というのだ。

 科学界ではつい最近まで、遺伝子変異は「ごくたまに、でたらめに起こる間違い」、つまりエラーによる偶然の産物だとだれもが信じていた。
 ここで、変異がどう起こるかの説明をしておこう。
 細胞が作られるとき、DNAは「母細胞」から「娘細胞」にコピーされる。
 この作業でふつうは同一の複製ができあがるが、なにせDNA量は膨大なため、ときにはどこかでエラーが起こる。
 このエラーを防止するために、複製過程では「校正」作業が加えられる。
 この校正でエラーを見逃す確率の低さは驚異的で、10憶回のコピーで1カ所ほどのエラーしか残さない。
 しかし、エラーが見逃されたDNA配列の新しい組み合わせは、たとえそのエラーがどれほどわずかであっても、変異となる。

 変異は放射線や強力な科学物質(タバコの煙など)にさらされたときにも起こる。
 この場合でもDNA配列が変わってしまう。
 太陽光線でも変異を引き起こす。
 太陽の黒点活動が最大になるときは混乱を引き起こす。
 インフルエンザの大流行はインフルエンザウイルスのDNAに「抗原連続変異」が起こることが原因だと考えられている。
 簡単にいうと突然変異だ。
 重大な抗原連続変異が生じたとき、人間の体はその新種の外来者になじみがなく、抗体も用意していない。
 では、その抗原連続変異を引き起こしているものは何か?
 変異は放射線の照射で起こる。
 そして、太陽から出ている放射線は11年ごとに太々になっている。
 だとすれば------。

 生き物の生殖過程で変異が起こると、これは「進化」につながる可能性がある。
 たいていの突然変異はその生き物に害をもたらすか、あるいは何の影響もおよばさない。
 ところがごくたまに、何らかの突然変異がその生き物の種にとって有利な点がが現れ、生存と種保存の確率が高まることがある。
 自然淘汰の流れから、有利な変異をもっている個体が世代ごとに子孫を増やし、やがてはその種全体に広まる。
 その種は「進化」したことになる。
 有利な変異が起きるかどうかはあくまで偶然による。

 ここまでの話だと、あらゆる生き物のゲノムは自分たちの生存と種保存がおびやかされるような環境変化に遭遇しても、遺伝子レベルでは意図的に対処できないということになる。
 すべては運のおかげになってしまう。
 「自然淘汰は環境の影響を受けるが、変異が環境の影響を受けることは絶対にない。変異は偶然の産物で、自然淘汰はその偶然が有利に働いたときのみに、それを助ける」
というのが科学者たちの考えだった。
 ところがこの考えの問題点は、進化が進化圧力と切り離されて考えられていることだ。
 これでは、環境変化に対応するために進化する、子孫を増やすために進化する、という必要性が進化に直結しないことになる。
 進化の圧力を受けない唯一の部分は、進化そのものだということになる。

 この偶然変異だけが適応につながるという理論は、最近完成したヒトゲノム解析プロジェクトによっても綻びが出てきた。
 遺伝学者たちは当初、遺伝子はそれぞれ一個づつの単一の目的をもっていると信じていた。
 眼の色を決める遺伝子はこれ、耳たぶが垂れる遺伝子はこれ、というように。
 この理論でいくと、遺伝子は少なくとも10万個存在しなければならなくなる。
 しかし、ゲノム地図ができてみると、遺伝子の総数は25,000個しかなかった。
 遺伝子はそれぞれ独立した仕事をしているわけではないということが突然わかったのだ。
 ひとつの遺伝子がひとつの仕事しかしていなかったら、人間の生命維持に必要なタンパク質のすべてはとうてい作り出せないのだ。

 「人間のゲノムは可変である」
という考えかたが入ってきたために、「遺伝子とは何か」という根本的定義がいきなり曖昧になった。
 ある生き物の特定の機能を司どっている特定の遺伝子を人為的に取り除くという遺伝子工学的手法を「ノックアウト」という。
 ところが、ノックアウトした遺伝子の機能が従前どおり働いていて、ノックアウトした影響がどこにも見られないというケースを、科学者たちは数多く目にしてきた。
 それは、他の遺伝子が必要に応じてノックアウトされた遺伝子の仕事を肩代わりしていたからだ。
 そこから科学者たちは遺伝子を、個々の指示が集められたものではなく、何か変化が起これば、それに組織的に対応する複雑な情報ネットワークとしてとらえるようになった。

 とすると、ある生き物から特定の遺伝子を取り除いても何の影響もないのだとしたら、そんなわずかな遺伝子配列の変更ぐらいで、新種への進化が起こるだろうか?。
 起こるはずがない。








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★ 『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』


● 2007/08



 進化とは
 
 進化とは本来、「自身の生存」と「種の保存」に役立つ遺伝形質を好み、健康を脅かす(とくに生食可能な年齢に達するまでの健康を脅かす)遺伝子形質を嫌うものだ。
 生存と種の保存に有利なものだけが残ることを、「自然淘汰」という
 その基本はこうだ。
 ある生き物が生き残れそうもない弱点を持つ遺伝子、あるいは子孫を残せそうもない弱点をもつ遺伝子は、次の世代に受け継がれにくい。
 たとえ受け継がれても何代かのうちに途絶える。
 なぜならそうした遺伝子を持つ個体は、生き延びる可能性も子孫を残す可能性も少ないからだ。
 一方、その生き物をより強くするような遺伝子、より繁殖力を高めるような遺伝子は子孫に受け継がれやすい。
 生存と種の保存に有利な遺伝子であればあるほど、その種全体が保持する多様な遺伝子の総体、いわゆる「遺伝子プール」に急速にたまっていく。
 
 遺伝性の病気が進化の法則に一致しないのは一目瞭然である。
 では、人間を弱らせるような遺伝子が、なぜ何千年も人類の遺伝子プールに留まっているのだろうか?
 祖先の暮らしてきた環境が、今のわれわれの遺伝子にどんな影響を与えてきたのだろうか。
 われわれはどうやってここまできたのか、どんな生き物と共存してきたのか、その生き物たちはどうやってここまできたのか。
 われわれにとって好ましい方向に進むためには、何をどうコントロールすればいいのか。

 さて、まず皆さんがいだいているこもしれない先入観を正しておこう。

まず第一に。
 あなたは単独で存在しているわけではない、ということだ。
 あなたの体内に存在している生き物がいる
 消化器系には何兆という最近が棲んでいる。
 それが、口から取り入れた食べものを分解する手助けをしてくれている。

二番目に覚えておきたいこと。
 進化とはその種のみで起こるのではない、ということだ。
 この世界は無数の生き物の集合体で成り立っている。
 アメーバから人間に至るまで、すべて生存と種保存を至上命令として生きている。
 進化とは、それらすべての生き物が生存と種保存の確率を高めるために起こす「前進」なのだ
 それゆえ、ある生き物にとっての生存が、別の生き物にとっての死になることもある。
 ある種が進化するということは、その他多くの種に進化を促す圧力となってくる。
 実際、多くの種がその圧力にさらされることで進化している。
 とするとまた、その影響を受ける別の種が進化する----というわけである。
 つまり、この世界のあらゆるものがあらゆるものの進化に影響を及ぼしているということである。
 人間は最近やウイルスや寄生虫のせいで病気になる。
 だが最近やウイルスや寄生虫は、人間をそれらと共生していけるように進化させてきた。
 一方で、最近やウイルスや寄生虫も進化してきたし、現にいまも進化し続けている。
 環境要因も人間を進化させてきた。
 ダンスを踊っているようなものだ、全地球的な進化のダンスを。

三番目。
 突然変異は悪いことのように思われがちだが、そうではない。
 突然変異とは、単純に「変化」を意味する。
 変化した結果が悪ければ生き残らないし、よければ進化につながるだけ。
 これが「自然淘汰システム」だ。
 その生き物の生存と種保存に役立つような遺伝子の突然変異が起これば、その遺伝子は遺伝子プール全体に広まる。
 生存と種保存を脅かすような突然変異なら消え去るのみ。
 ちなみにここでいう「よい」か「悪い」かは、どちらの視点に立つかで変わる。
 抗生物質耐性菌の出現は、人間にとっては「悪い」突然変異だが、細菌にとっては「よい」突然変異となる。

最後に。
 DNAは運命ではなく単なる「歴史」である。
 あなたの遺伝子があなたの人生を決めるのではない。
 もちろんある程度は形作る。
 が、それ以上に親の養育方法や環境、あなた自身の選択が大きな要素をしめている。
 あなたの体にあるDNA情報は、あなた以前の祖先がたどってきた遺産にすぎない。
 あなたの遺伝子コードのどこかに、祖先が切り抜けてきた苦難に適応するために起こしたあらゆる突然変異、あらゆる変化が記憶されているのだ。





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2010年12月5日日曜日

: インド、手のつけようのないほどの落伍者

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● 2007/05[2003/11]



 インドは「暴力と政治の不安定」さが特徴の国である。
 国としての存続は、さまざまな少数民族による分離運動だけでなく、多数を占める民族内の暴力的なヒンズー過激派によって脅かされている。
 1947年以来、残虐行為が生活の一部といっていいほど日常化してしまっている。
 独立以後、パキスタンにいたヒンズー教徒とインドにいたイスラム教徒が、それぞれの国の多数はによって何十万人も殺され、少なくとも1,200万人の難民がどちらかの側へと避難した。

 過去30年年間、インドは近隣諸国に対して非常に攻撃的だった。
 中国、パキスタン、バングラデシュと戦争をし、スリランカとは代理戦争を行った。
 インド人たちはインド洋のいくつかの島じぇ進軍し、占領してしまった。
 独立以来、どの隣国とも安定した関係を築いたことがない。
 さらには、自分自身ともうまくやっていけるという証明ができていない。
 国の半分は、残りの半分が実際なにをやっているのか全く判っていないのだ。
 カルカッタの人たちはマドラスの人たちとはまったく関係がない。
 議会では、ベンガル出身の大臣は、パンジャブ出身の大臣とは無関係であり、そのパンジャブ出身の大臣とは何も共有するものがなく、その南部出身の大臣は北部の大臣とはぜんぜん関わりがない、といった具合である。
 この国は手のつけようもないほどの役人根性、性差別、保護主義の典型である。

 「われわれはインド人だから他の誰よりも賢い」
と言うのが今の論調だ。
 ITブームが彼らにそう思わせたのだ。
 ITの生みの親を自負しているくせに、インドでは全国で使える携帯電話さえない。
 ほとんどどの街でも、都市ごとに携帯電話を買い直さなければならなかった。
 中国では携帯電話は国の何処へ行っても使える。
 1980年代までインドは中国より豊かだったので、インド人は中国人を非常に疎ましく思っており、彼らに嫉妬している。
 中国は民主主義ではなく、自分たちインド人は世界最大の民主主義国の国民だと彼らは言う。
 たしかに彼ら「中産階級は2憶人」と巨大である。
 しかし、それは8億人が中産階級に属していないということでもある。
 また、民主主義であることを重視するなら、国としてのインドの劣悪なパフォーマンスが暴かれてしまう。
 彼らは、共産主義国やその他の全体主義国家の政府のような
 落伍者としての言い訳さえできない

 過去20年の間に、中国はインドよりはるかに成長し、インフラ-高速道路、電話回線、携帯電話-も整った。
 インドにはそのいずれもほとんどない。

 私たちは西海岸から東海岸、ムンバイからカルカッタへと走った。
 2つの街はたかだか2,000マイル(3,200キロ)ほどしか離れていない。
 私たちは毎日、一日中、車を走らせたのだが、平均時速30マイル(48キロ)出せればよいほうだった。
 道は舗装されていたが2車線しかなく、トラック、ラクダ、ロバ、すべてが同じ車線を走っていた。
 インドを横断するトラックの運転手は平均時速12マイル(19.2km/h)ほどで走る。
 トラックがその4倍のスピードで国を股にかけて走っている中国と、いったいどうやって競争できるだろう。
 これらはすべて、ジャワハルラル・ネルーとその娘インデイラ・ガンジーの国民会議派が、独立以来実質的にずっと国を支配してきた時代の遺物である。
 役人や政治家、保護を受けた少数のビジネスエリートだけが栄えていた。

 インドにはいくつかの巨大企業があるが、世界市場では競争していけないことははっきりしている。
 この国は農耕面積で世界第2位だが、面積あたりの収穫量は世界平均のわずか「30%」である。
 対照的に中国はさまざまな製品や農産物を輸出しはじめている。
 規模の経済が-国内の保護された市場は10億人規模だ-大いに得られるにもかかわらず、資本や知識の蓄積、そして国境の外で競争するのに必要な品質が確保されていないため、世界で車で走っていても、インド製品を目にすることはあまりない。
 保護主義経済の国すべてと同様、インドには「品質という考え方」は存在しない。
 旧ソビエト連邦も製品を輸出したことはなかった。

 デリー・スクール・オブ・エコノミクスとインド社会研究所の研究によれば、1憶6500万人いる6歳から10歳の子どもののうち小学校を卒業するのは約3,500万人にすぎない。
 インドの大学はエリートとコネを持つ者のための場所なのだ。
 あれほど多くのインド人が外国の大学で学んでいるのは、人口の増加で需要は増えているのに、政府が彼らに学ぶ場所を国内に作ることに、ほとんどお金を使っていないからである。





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: パキスタン、現在の形では生き残れない


● 2007/05[2003/11]



 パキスタンは私が現在の形では生き残らないと考える国の一つである。
 インドとの拭い去りえない不和は別にしても、そう思う。
 パキスタン国内の地域間での違いや、お互いへの敵意が強く、国の存続を危うくするほどである。
 ここは、インド独立に続いて起きたイスラム教徒の大量移住の中で急遽成立した国なのである。
 1947年にパキスタンに移ってきたイスラム教徒は今でも、当時すでにそこにいた人たちとは区別されている。
 彼らの子や孫たちはいまだに「劣等」なのだ。
 階級の別は、旧東ドイツの人たちが差別されている現在のドイツのそれに近い。
 英国のひどい官僚によってでっちあげられたこの国は、もはや芯がもたなくなっている。
 パンジャブ地方の農家はパルチスタンの部族民とは何も共有するものがない。
 最北西部の住人は何世紀も前になんかしてきたコーカサスの末裔である。
 今でも目の青い人が多い。
 第二次世界大戦後に組み合わされたさまざまな場所にはほとんど共通する要素がない。
 この国は不安定である(核兵器を持っているから、特に危険だ)。
 そのうち数カ国に分かれるだろう。

 インダス川流域の人々は数千年前に、今日私たちが使っている数の体形を作り出した。
 私たちはその数字を「アラビア数字」と呼ぶが、征服者であるイスラム教徒は単にこの効率的な体系を採用して世界に広めたにすぎない。
 この文明は数字を発明したにとどまらない。
 ヒマラヤから流れ出る大量の水を管理することにかけても非常に巧みだった。
 今日、この国の中心である農業経済は、5万マイル(8万キロ)に及ぶ運河を管理する、スックル堰として知られたダムと水路交換の精巧なシステムに多く依存している。
 戦略的に重要なため、この工学的に優れた結晶は撮影を許されなかった。
 たとえばアメリカにはこれほどまでに唯一重要なものはみあたらない。
 エジプトにおけるアスワンハイ・ダムと類似しており、これが破壊されれば、実質的に国が破壊されたも同然である。


(注).インダス川はパキスタンの中央を縦断する。
    ちなみに、ガンジス川はインドの三角形の底辺を横断する。





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